「誰でもよかった」通りすがりの女子高生を絞殺し、身代金を要求。
2002年7月19日昼過ぎ、群馬県粕川村に住む無職・坂本正人(当時36歳)は、路上を歩いていた大胡町に住む県立前橋東商業高校1年・A子さん(16歳)を無理やり車に乗せて、数時間後、首を絞めて殺害した。
殺害後、坂本はA子さんの携帯電話を使って、家族に身代金20数万円を要求。指定の場所に金を取りに現れたところを、捜査員に尾行され逮捕された。
事件の経緯と動機
坂本正人について
群馬県粕川村込皆戸生まれ。県立高校を中退。その後、親族が経営する土建会社に勤める。この親族は坂本の働き振りについて「飽きっぽくて長続きしない感じだった。無断欠勤が多く、工事現場からも仕事も途中で帰ることが多かった」と語っていた。00年、坂本はまったく会社に来なくなった。
1999年から、妻と娘、そして妻の連れ子と実家で同居。しかし坂本は妻や娘に暴力を繰り返し、6月には妻と子供は児童相談所に保護された。
事件当時は、人材派遣会社に登録していて、定職には就いていなかった。金に困っており、時々父親に金を無心しては1000円ほどを与えられていた。事件当時、坂本は消費者金融などに200万円以上の借金があった。
事件当日
2002年7月19日昼過ぎ、高校の終業式を終えて中学時代の友人の集まりに徒歩で行く途中だった大胡町に住む県立前橋東商業高校1年・A子さん(16歳)に「行きたいところがあるので地図を描いてほしい」と坂本は車から声をかけ、無理やり車に乗せて拉致した。
数時間後に宮城村柏倉の林道で、止めていた車から逃げ出そうとしたA子さんをカーオーディオのコードで首をしめ殺害した。その直後、A子さんの財布から現金3000円を奪っている。
同日午後11時30分頃、A子さんの携帯電話を使って、A子さんの母親(当時39歳)に電話をかけた。
「金を用意しろ。娘がどうなってもいいのか」
坂本はこのとき50万円を身代金として要求した。母親は「金融機関が休みなので、すぐに用意できない」と話している。電話の20分後、母親は警察に通報した。
その後も坂本からの電話は続き、「金は20数万でいい」と言ってきた。またA子さんとは面識がなかったにも関わらず、「A子さんとはメル友で、娘さんの相談にものってやっている」とも話した。
20日正午ごろ、坂本からの最後の電話がかかってくる。赤堀町内の路上の上に現金を置くように指示してきた。まもなく父親が金を入れた茶封筒を消火栓に置いた。やがて、坂本が車で取りに現れたところ、県警捜査員が尾行し、赤信号で停まったところを任意動向した。この時の坂本の所持金は200円だった。
当初、「仲間は他に4人いる。A子さんはその4人と一緒」などと坂本は語っていたが、23日夜、「自分が殺して埋めた」と自供。
その後、
「連れ去るのは誰でもよかった。大変なことをしてしまった」
「別れた妻と娘に会うため、女を拉致して引き換えにしようとした」
などと供述した。
判決とその後
2003年7月29日 前橋地検、「矯正不可能な性格」と、坂本に死刑を求刑。
2003年10月9日 前橋地裁、坂本に無期懲役を言い渡す。
久我泰博裁判長は「大胆、卑劣で、被害者の無念は察するに余りある。ただ、綿密に計画されてはいない」と述べた。裁判長は閉廷を告げて被告が退廷した後、傍聴席にいた女子高生の両親に「犯人が人を殺すのは簡単だが、国家として死刑判決を出すことは大変なことです。納得できないと思いますが、そういうことです」と語りかけた。遺族の心情を気遣ってのこととみられるが、裁判長が閉廷後の法廷で“釈明”するのは異例。遺族は何も答えなかった。
女子生徒の知人らは「法律上最も重い刑」を求める署名約7万6000人分を、検察側を通じ地裁に出していた。久我裁判長は判決理由で遺族の心情に触れ、涙ぐんで言葉を詰まらせる場面もあった。
2004年10月29日 東京高裁、一審を破棄、坂本に死刑を言い渡す。白木裁判長は「動機は身勝手で殺害方法は残忍極まりない。(殺害後に)親に身代金を要求する時も笑いながら話すなど、卑劣極まりない」と厳しく指摘した。
2008年4月10日、死刑執行。(享年41歳)