18歳の少年が元交際相手の少女を拉致、その姉と知人を殺害

宮城県3人殺傷事件(石巻3人殺傷事件)とは、2010年(平成22年)2月10日に宮城県石巻市で少年A(犯行当時18歳)が元交際相手の少女を巡り、少女の親族・知人3人を殺傷した殺人事件(少年犯罪)である。
Aは裁判員裁判で死刑判決を受け確定し、裁判員裁判では初の少年死刑囚となった。
犯行の経緯や動機

本事件の死刑囚A(実名のイニシャル「C・Y」)は1991年(平成3年)7月2日に生まれた。
Aは2010年2月4日と翌5日、東松島市の元交際相手の少女の祖母宅で、少女を鉄の棒などで何度も殴り、火のついたたばこを額に押しつける暴行を加え、全治1か月の怪我をさせた。
その後2010年2月10日午前6時40分頃、石巻市の元解体作業員の当時18歳の少年Aが、東松島市の無職の少年Bを共犯に押し立てようとしたが、少年Bが結局拒んだ為、少年Aは1人で石巻市内にある少女の実家に押し入り、2階で寝ていた少女の姉(当時20歳)と少女の友人の女子高生(当時18歳)を刃渡り約18cmの牛刀で複数回刺して殺害した。
さらに、その場にいた男性(当時20歳)の右胸を刺し全治3週間の重傷を負わせた。当時4か月の少女の娘は無事だった。
その後、3人を目の前で殺傷されて恐怖に怯える少女の左脚を刺して全治1週間の軽傷を負わせ、無理矢理車に乗せて現場から連れ去った。

車を変えて逃走するも同日午後1時過ぎに少年2人は同市内で身柄を確保され、未成年者略取と監禁の容疑で現行犯逮捕された。少女は保護された。
同年3月4日、宮城県警石巻署捜査本部は少年らを、民家に侵入し女性2名を刺殺、男性に重傷を負わせたとして、殺人・殺人未遂などの容疑で再逮捕した。
判決とその後
2010年4月30日、仙台地方検察庁により殺人、殺人未遂などの罪で起訴された。更生可能性の評価と、少年の死刑適用の可否が焦点となっていた。
「殺害を事前に計画し、強固な殺意があった」とする検察側の主張に対し、弁護側は弁護団を結成して「殺意は突発的に生じた」と主張。殺意の発生時期や程度が争点の一つとなった。
胸を刺され重傷を負った男性は「Aは『全員ぶっ殺す』と言い、次々に刺していった」と証言。
また、共犯の少年Bは、自分が実行犯役となるようAに命令されていたと証言した。
AはBに凶器の万引きや刺し方などを指示したり、「皮手袋をすれば指紋が出ず完全犯罪だ」とも言ったという。
しかし直前になりBが実行犯役を拒むと、Aは「おれがやる」と言い犯行に及ぶが、凶器にBの指紋を付けさせた上にBが犯行を行ったという証拠を完全なものに仕立て上げる為に、Bの衣服を奪って返り血対策を兼ねて着用するなど、様々な隠蔽を図っていたことも明らかになっている。
逮捕当初も犯行を供述するBに対し、Aは「おれは関係ない」と容疑を真っ向から否認していた。さらにAは実母への暴力で家裁で審判を受けた経験があり、犯行後「『泣いたり、父親がいない家庭事情を話すと、裁判官の同情が買える』と話していた」とも証言された。
検察側は「犯行は身勝手かつ残虐で、罪を他人に擦り付けて逃れようとするなど計画的であり、更生の余地は無い」として死刑を求刑し、弁護団側は「少年である事と家庭の事情を酌むべきであり、主治医の診断結果からも更生の可能性は十分にあり、極刑は不当である」として保護処分を求めた。
2010年11月25日、仙台地方裁判所で判決公判が開かれ、鈴木信行裁判長は事件の残虐性や身勝手さを指摘し、「犯行態様や結果の重大性から考えれば、この点(少年の家庭の事情)を量刑上考慮することは相当ではない」「(犯行時に少年であることが)死刑を回避する決定的な事情であるとまではいえない」として、求刑通り少年Aに死刑を言い渡した。
日本の裁判員裁判で被告に死刑が言い渡されたのは、横浜港バラバラ殺人事件(判決日は同年11月16日)に次ぎ2例目であり、少年が被告人の裁判員裁判では初のケースとなった。また少年に対する死刑判決は、1999年に起きた光市母子殺害事件の差し戻し控訴審(2008年)以来で、通常の少年事件とは異なり加害少年の生育記録などが重視されない異例の判決であったため議論を呼んだ。
なお、この判決に少年側弁護団の一人、藤田祐子弁護士が記者会見で怒りを露わにしながら「大変残念な判決だ。本人に会って話をしたところ、 判決を受け入れたいと言っていたが、弁護人としては考え直して控訴を検討するよう話した」と述べ、更に「集中審理の中で少年の心情の変化がほんとうに裁判員に理解してもらえるのか、 限界のようなものを感じた。今後、同じような少年事件で、本人のほんとうの心情が理解される前に判決が出されることを懸念している」と話し、終始、怒り心頭の様子であったと言う。
弁護団はその後、控訴に消極的だったAを説得して同意させ、2010年12月6日、事実誤認及び量刑不当を理由に判決を不服として仙台高等裁判所に控訴した。
控訴について弁護団は「少年は、死刑を受け入れて死ぬことだけが償いではなく、生きて被害者に対して謝罪の気持ちを持ち続けることも1つの方法ではないかという気持ちになったようだ」と控訴理由を説明したが、控訴の知らせを聞いた被害男性は「生きて償うとはどういう事なのか分からない」と少年と弁護団を真っ向から批判した。
一審判決の控訴から3年を経た2014年1月31日、仙台高等裁判所は一審の死刑判決を支持し、弁護側の控訴を棄却した。これに対し、弁護団側は「原審資料に偏った認定をしている」との理由から判決を不服として最高裁判所に即日上告した。

上告審口頭弁論公判は2016年4月25日、最高裁判所第1小法廷(大谷直人裁判長)で開かれた。
弁護側は「未成熟な人間性を背景にした衝動的犯行。精神状態の審理が足りない」として死刑判決の破棄を主張し、検察側は上告棄却を求めて結審した。
上告審の判決期日は当初、6月9日に指定されたが、後に「主任弁護人が出廷できないので期日変更を申し立てた」弁護人の申し立てを認めて6月16日に延期された。
2016年6月16日、最高裁第1小法廷は死刑とした一・二審判決を支持し、被告人Aの上告を棄却する判決を言い渡したため、死刑判決が確定することとなった。
裁判員裁判で死刑判決が言い渡された少年事件で死刑判決が確定するのは史上初である。
事件当時少年だった被告人に対する最高裁の死刑判決は2012年の光市母子殺害事件の元少年以来であり、平成の少年事件では市川一家4人殺人事件(1人)、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件(3人)、光市母子殺害事件(1人)に続き4件目の死刑確定、計6人目の少年死刑囚となった。
なお、第一審・控訴審・上告審と一貫して死刑判決が支持され、確定に至ったのは市川一家4人殺人事件以来、永山則夫連続射殺事件以降及び平成の少年事件では2件目である。
東北地方の裁判員裁判で言い渡された第一審死刑判決が確定するのは2012年7月26日に福島県会津美里町で起きた夫婦強盗殺人事件以来2件目である。
弁護人は「Aは死刑判決自体には不満はないが、事実と異なることが認定されていることは受け入れられない」として、2016年6月27日付で最高裁第1小法廷に判決の訂正を申し入れた。しかし申し立ては2016年6月29日付決定で棄却され、死刑判決が正式に確定した。