自宅取り壊し拒否の男、床下から白骨遺体が発見され、時効成立後に犯行を自供
1978年8月、東京都で女性教師が失踪した事件である。未解決事件となっていたが、公訴時効成立後の2004年、真犯人の男性が女性教師の殺害を自供した。
犯行の経緯
今から約40年前の1978年8月15日のことだった。足立区内にある小学校女性教諭の石川千佳子さん(当時29歳)は夏休みの最中のその日、小学校の当直当番となっていたのだが、彼女は学校に姿を現さなかった。
それまで彼女は無断で学校を休んだことなどなかった。学校の校長は、彼女と連絡がつかないので、さては何か火急の用で北海道の実家にでも帰ったのかと思い、実家に電話を入れた。
ところが、家族からは帰って来る予定などないと、校長からの電話に困惑した様子だった。ただならぬ事態だと直感したのだろう、間もなく家族から家出人捜索願が出された。だが、その後30年近く、彼女の行方はまったくわからずじまいだった。
石川さんが行方不明になってから、しばらくたった2000年代初頭に北朝鮮の拉致問題が大々的に報じられると、家族は藁にもすがる思いだったのだろう。2003年には、『特定失踪者リスト』に彼女の名前が載った。
しかし、石川さん失踪事件は、思わぬ形で決着する。事件から26年後の2004年8月21日、石川さんを小学校で最後に目撃したという用務員の男が、警視庁綾瀬警察署に自首し、彼女を殺害し、自宅の地下に埋めたと証言したのだった。
男の供述に基づき、翌日足立区内の元自宅を捜索したところ、一階和室の床下約1.1メートルから防水シートにくるまれた石川さんとみられる一部白骨化した遺体が見つかったのだ。
男によれば、1978年8月14日午後4時30分ごろ、校舎の廊下で石川さんと口論となり、口をふさぐなどして殺害し、元自宅まで遺体を運び、妻が外出している間に床下に埋めたと供述している。すでに公訴時効の15年が成立しており、何の罪にも問われなかった。
そもそも男が自首したのは、後悔の念に苛まれた末というわけでなく、元自宅が区画整理によって立ち退きを求められたことから、遺体が発見され、事件が明るみになることを恐れ、自首したのだった。
和田信也について
犯人の名前は和田信也、2006年時点で70歳。事件当時の住所は東京都足立区六木2-9-20で現在は、千葉県南房総市に住んでいるという。
和田は中川小学校での勤務中に弁当に睡眠薬を入れられ、有毒ガスをまかれるなど、小学校で教員たちから嫌がらせを受けていた。 1978年8月14日夕方。校舎の巡回中、1階給食室前の廊下で、プール当番の日直だった石川さんとぶつかりそうになった。『こんなところで何をしているのだ』と近寄ると、バッグの様な物で私の顔を殴ってきた。払うとひっくり返り、大声をあげた。
こういう状況を作る目的で罠をかけてきたのではないか。処分されてたまるかと強い怒りが生じ、夢中で両手で首を押さえた。遺体を隠していたことついて「遺体を埋めた和室の畳の上はよけて通るようにしたが、妻と一緒の時は不自然にならないように平静を装った。
(乗用車で遺体を自宅に運び、床下約140センチに埋めた。遺体は毛布とビニールシートに包まれ、ロープで幾重にも縛られていた)犯行後の生活について「教員たちを殺して自分も死のうと考えたり、学校の来客が刑事に見えたりした。石川さんの霊が見えた。催眠術の本を買い、自己暗示をかけた。『お前は何もしてない。恐れることはない。』と、目を閉じて繰り返し、歳月がたつうちに事件をあまり思い出さなくなったと証言している。
足立区によると、男は、同区の技能職職員として 小中学校で警備員などを勤め、1995年3月に退職した。
男の元自宅は、高さ約2メートルのフェンスと有刺鉄線で覆われ、 玄関には2台の監視カメラが設置されていた。 付近の住民によると、近所付き合いはほとんどなく、同区の区画整理事業担当者に対しては、 「こんな年になって立ち退きたくない」と反対したというまた、同小の関係者は「校内を見回る際、 警棒のようなものを持ち歩くこともあった。石川さんが行方不明になった後も、変わりなく勤務していた」と話していた。
被害者について
石川さんは北海道小樽市出身。北海道教育大卒で図工を担当していた。
夜遅くまで仕事をすることも多く、当時の同僚たちからは 「きちょうめんで努力家。穏やかな人」と受け取られていた。
失跡を疑われた後、同僚たちが心当たりを捜した。 欧州研修旅行から帰国したばかりで「また海外に行ったのかも」と 成田空港で出国記録も調べた。
元同僚の女性は「あらゆることを想定して捜したつもりだったが、 警備員が殺害するなんて死角だった」と憤る。また、元教頭は「男は夜遅くまで残る教員に『早く帰れ』と怒ったことがある。 残業していた石川さんとトラブルになったのだろうか」と話す。
判決とその後
遺族が民事訴訟を起こし、男には4255万円の支払い命令が出されている。現在、男は何の罪に問われることもなく千葉県内で暮している。判決後に男はマスコミの取材に対して、こうコメントしている。
「謝る気はまったくありませんから……」
犯人は自首したが、事件の真相は闇に包まれたままの、陰鬱な気分にさせる事件である。