事件・事故

宇都宮宝石店強盗放火6人焼殺事件

周到に計画された宝石強盗事件。店員殺害後にガソリンを撒いて放火し、6人が死亡。

宇都宮宝石店放火殺人事件とは、2000年6月11日に栃木県宇都宮市江野町のオリオン通りにあるジュエリーツツミ宇都宮店において、産業廃棄物処理会社相談役を自称する男・篠沢一男(46歳)が指輪など高価なジュエリー293点約1億4000万円相当を奪い、店長を含む当時店内にいた従業員全員を拘束しジュエリー店に放火し、拘束した6人全員を殺害した事件である。

現場の焼失状況および被害者遺体の損傷もひどく、物的証拠はとても少なかった。そのために設置されていた防犯カメラの映像証拠および篠沢自身の自白の信憑性に重点が置かれた。

篠沢の供述によると、強盗の事実は認めるが、「脅すつもりでライターの火を付けたところ、突然爆発した。殺すつもりはなかった」などと殺意は否認している。また、自白についても精神的動揺を理由に信用性が低いと主張した。

2002年3月19日、宇都宮地方裁判所は「凶悪、悪質で他に類をみない」と検察の求刑どおり死刑判決を下した。篠沢は控訴したが、2003年4月23日、東京高等裁判所は「犯罪史上まれにみる凶悪な事件」として控訴を棄却し、2007年2月20日、さらに最高裁判所が上告を棄却し、死刑が確定した。

犯行の経緯や動機

篠沢は事件当時49歳であった。高校中退後、蕎麦屋に丁稚奉公していたが数年後に辞めた。

その後自身で、うどん屋を立ち上げ経営していたが、残念ながら経営に行き詰まり廃業した。その後料理店に勤務するも長続きせず、事件を起こす頃には、実際には実在しない産業廃棄物処理会社相談役を名乗るだけの、事実上無職であった。

篠沢は実質的無職で安定した収入がなかったが、親の金を使って高級外車や高級ブランド品を購入したり、また愛人を囲ったりする生活を続けた。

このときに訪れていた店の1つがジュエリーツツミ宇都宮店であった。さらに、パチンコ等のギャンブルにのめりこんでしまい、最終的には多額の借金を抱えていた。

篠沢は1998年以降継続してジュエリーツツミ宇都宮店を訪れ、宝飾品の購入・貴金属の加工などについて取引を行っていた。

2000年5月29日、8000万円の取引を求めたが、ツツミ本社側は篠沢の身元に不審を感じ、取引に応じなかった。

このあと6月1日、篠沢は再び同店を訪れ、上記の取引について謝罪し、後日商品を購入すると伝えた。

2000年6月11日午後5時すぎ、篠沢はブランドバッグにガソリン缶を入れて、ジュエリーツツミ宇都宮店に入店した。

篠沢はバッグの中に1億5千万円を詰めて持ってきたので、希望する宝飾品(全293点、総額1億4000万円分)を売ってほしいと店長に伝えた。しかし、店長は篠沢の希望する宝飾品を揃えるのには一定の時間がかかることを理由に、閉店後に再度来店するよう伝えた。

店長は、篠沢の全額現金払いをすると言葉を信じたので、この時点で商談が成立していた。

この後、従業員は近郊のツツミ系列店および近隣の時計店から篠沢の希望する商品を用意し、本社には午後7時半に閉店した後ミーティングがあると連絡を入れた。

篠沢は同日午後7時30分に再度来店して希望する宝飾品があることを確認した。午後9時50分従業員から電話を受けたツツミ本社は間もなく取引が終了すると連絡をうけており、問題がある様子はなかった。

篠沢は「清算をするから」と言葉巧みに店長と店員らを一箇所に集めた。この店長と店員は全員女性であった。すると、突然、篠沢は態度を豹変し従業員に刃物を突きつけて脅した。

その後店長を脅迫し、他の店員についても両手を粘着テープで縛った。店長の両手両足および店員の両足をもテープ縛り、そして全員の目にハンカチを当てテープを巻き付けて目隠しをした。篠沢は全員を休憩室に閉じ込めた上、店員の足下および1名の上半身にガソリンをかけ、火をつけた後逃走した。

翌日の午前0時15分頃に鎮火されたが、事件現場からは完全に炭化した6体の焼死体が発見された。6人の死因は火傷死2名、焼死4名であった。

ツツミ社がもっていた不審者リストや、店内に設置された防犯カメラにズボンの裾を燃やしながら宝石店から出てくる姿が映っていたことなどからが有力な証拠となった。また、自らの車「ボンティアック」を東武線宇都宮駅付近の駐車場に駐車していたことも判明した。

翌日正午ごろに篠沢が自家自動車を取りに駐車場に現れとき捜査員は任意同行を求めた。そして、篠沢は強盗殺人および放火の容疑で逮捕された。その後の取り調べに対し「女性店員だけの店を狙った」と篠沢は供述している。

逮捕時、篠沢のバッグには多数の宝石や貴金属、腕時計などが入っていた。

死刑判決と死刑執行まで

2002年3月19日、宇都宮地方裁判所は「凶悪、悪質で他に類をみない」と検察の求刑通り死刑判決を下した。その後Sは控訴したが、2003年4月23日には東京高等裁判所は「犯罪史上まれにみる凶悪な事件」として控訴を棄却し、さらに2007年2月20日には最高裁判所は上告を棄却した。そして死刑が確定した。

死刑確定後にSは東京拘置所に死刑囚として収監された。

2008年に死刑廃止団体が篠沢に対してアンケートを行っており、「死刑になるのか、きもちの整理がつきません。死刑とはざんこくなものです」と答えている。

2010年7月28日、千葉景子法務大臣(当時)立会いのもと、東京拘置所において死刑の死刑が執行された。(享年59歳)

この同じ日には熊谷男女4人殺傷事件の死刑囚の死刑も執行されている。また、この日は、前年に死刑執行がなされて以降、ちょうど1年が経過した日であり、民主党政権下で行われた初の死刑執行であった。

なお、本件と同様に、強盗目的での放火大量殺人事件として、「弘前武富士強盗放火殺人事件」が2001年に発生している。

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