事件・事故

女子高生校門圧死事件

生徒指導徹底の是非が社会的に議論されるきっかけとなった死亡事件

1990年7月6日午前8時半ごろ、神戸市西区にある兵庫県立神戸高塚高校で、高校1年生の女生徒・石田僚子さん(15歳)が登校時、勢いよく閉められた高さ1.5メートル、重さ約230キログラムの鉄製のスライド式の門扉(もんぴ)とコンクリートの門柱の間に頭を挟まれて死亡した。

僚子さんは、校門を抜けようとした際、自分に迫る門扉の勢いに驚き、かがむような姿勢となって、そのまま挟まれてしまった。その際、僚子さんの耳と口からはおびただしい量の血液が噴出したという。

僚子さんはすぐに病院に搬送されたが、午前10時25分に死亡が確認された。

門を閉めたのは、遅刻指導をしていた細井敏彦教諭だった。

事件の経緯

高塚高校では、3年前からチャイムの鳴り始めと同時に門扉を閉めることが、野村穆夫校長承認の下で決定され、実施されていた。

指導は3人の教諭が担当し、「あと3分、2分」「あと1分しかない、走れ!」などと、生徒を急かして、チャイムが鳴り始めると同時に門扉を閉め、遅刻者にはグラウンド2周などの罰則を与えた。

ただし、教諭同士の役割分担等を示したマニュアル等は存在せず、慣習的にお互いの挙動を見て判断し、それぞれの役割を果たしていた。

事件当日

事件当日は1学期末の期末試験初日であった。そのため、通常であればほとんど遅刻者はいないはずであったが、教諭の予想に反して生徒の流れが悪かった。

細井は「試験日なのにたるんでいる」と考え、生徒の集団を後ろから追いかけ、10数名を校門の中に押し込んだ後、チャイムが鳴ると同時に門扉を押し閉めた。

この時、細井は「生徒が途切れたために門を閉めた」と供述しているが、一方で「10人以上の生徒が一気になだれ込んだ」という証言もされている。

いずれにしても、細井は門扉を閉める際、門扉が大変に重いために前傾姿勢をとっており、前方を十分に確認せずに閉めたことが明らかになっている。

挟まれてしまった僚子さんの頭には、計算上、最大で3.5トンもの力が加わった可能性があるとのことである。

教育委員会の対応

兵庫県教育委員会は、臨時委員会で細井を懲戒免職処分とした。

また、野村穆夫校長に関しては戒告処分とし、これを受けて校長は辞表を出し、提出後にこれが受理された。
※戒告処分とは、口頭か文書で、警告としてくだされる処分のことで、 懲戒処分の中で戒告は最も軽い処分である。

その後、11月16日、学校側が安全管理上の過失を全面的に認め、兵庫県と石田さんら遺族は、賠償額6000万円で示談が成立した。

判決とその後

公判は、11月26日から神戸地裁で約2年半にわたって開かれた。

最大の争点は、遅刻指導の安全確認についての過失と、校門における遅刻指導の業務性についてであり、細井が門扉を閉め、僚子さんを死亡させたという事実関係は争点にならなかった。

1993年、地裁は検察側の主張をほぼ認める形で、禁錮1年、執行猶予3年の判決を下した。

この事件では、学校側の「管理教育」が問題視されたが、裁判所については、管理教育そのものの是非については判断を避ける結果となった。

なお、本件については、事件後に細井自身が著書『校門の時計だけが知っている―私の「校門圧死事件」』を出版しており、細井自身が、管理教育の是非について社会に対して問題提起する形となっている。

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