行方不明の少女が、重石をつけられダムで発見、殺人事件として捜査も時効成立し未解決事件に
1982年7月11日、五条市樫辻町の西吉野村立西吉野中学1年、水本明美さん(当時12歳)が英語塾に向かう途中で行方不明となった。
その後、自宅から26kmほど南に離れた同郡大塔村小代の「猿谷ダム」の湖面に浮いている明美さんを、ドライブをしていた高校生が発見。
明美さんの首にはビニールロープが巻かれ、重しの石がくくりつけられており、また、頭には車にひかれたような跡があったため、警察は何者かが明美さんを車でひき、遺体をダム湖に捨てた可能性が高いとみて捜査を行った。
しかし、1997年7月10日、殺人・死体遺棄事件の時効が成立し、未解決事件となった。
事件の経緯と詳細
1982年7月11日、五条市樫辻町の西吉野村立西吉野中学1年・水本明美さん(当時12歳)は自宅で昼食をとり、昼過ぎの12時20分頃、自宅から3kmほど離れた西吉野村和田の英語塾に向かった。
しかし、塾には姿を見せておらず、また、夕方になっても自宅に戻らないため、塾講師と兄が駐在所に届けた。
通報を受けた警察や消防が付近を捜索したが発見できず、失踪から12日後となる同月23日午後1時50分ごろ、ドライブをしていた高校生が、自宅から26kmほど南に離れた同郡大塔村小代の猿谷ダムの湖面に浮いている明美さんを見つけた。
発見時、明美さんの首にはビニールロープが巻かれ、重しの石がくくりつけられていた。
また、司法解剖の結果、死因は頭がい骨骨折で、死亡推定時刻は自宅を出た直後の正午から午後3時の間であり、車にひかれた際についたと思われる傷が頭などにあることから、何者かが明美さんを車でひき、遺体をダム湖に捨てた可能性が高いと五条署などは見ていた。
しかし、自宅から塾までの間に血痕などが見つからないため、事故を装った殺人事件の可能性もあるとして、事故、事件の両面から捜査を続けた。
有力な情報が得られないまま5年が経過し、1987年7月、業務上過失致死罪について時効が成立したが、警察は殺人・死体遺棄事件として捜査を継続した。
事件から15年が過ぎ、殺人・死体遺棄事件の時効成立まで一カ月と迫っていた1997年6月には、10・11日の2日間にわたって、五条署は明美さんの当日の服装や状況などが書かれたチラシ千枚を、JR五条駅前や西吉野村役場前で配布し、また、捜査員も懸命な聞き込みを続けた。
捜査本部長の奥村建彦・刑事部長は「残された期間についても犯人検挙のために全力を尽くして捜査をする」とコメントを発表し、目撃証言を求めた。
しかし、懸命な捜査もむなしく、1997年7月10日、殺人・死体遺棄事件の時効が成立したため、本件は未解決事件となった。
「猿谷ダム」に関する死亡事故
2011年9月14日、中学校講師・大原千幸(ちさ)さん(39歳)
2011年9月14日、台風12号による紀伊半島豪雨で行方不明になっていた、高知市出身で奈良県天川村の天川中学校講師・大原千幸(ちさ)さん(39歳)が、猿谷ダム湖で遺体で見つかった。
奈良県警によると、大原さんは9月3日の夜、学校近くの教職員住宅にいて、住宅ごと流されたとみられる。
住宅は学校近くの「天の川」へ流され、警察や消防などが周辺を捜索していたが、14日朝、約20キロ下流の五条市の猿谷ダム湖で遺体が発見されたという。
大原さんは2011年3月まで、高知県内の十数校で臨時講師として長く活躍しており、3月まで英語講師として教壇に立っていた吾川中(吾川郡仁淀川町)にも14日、奈良県警から連絡が入った。
各クラスで悲報が伝えられると、生徒たちは沈痛な雰囲気に包まれたといい、報道陣の取材に対して陰山洋隆教頭は「学校全体が非常にショックを受けている」と話した。また、同校の前に赴任していた大野見中(高岡郡中土佐町)の稲田稔明校長は「残念。将来が楽しみな先生だった。あまりにも若すぎる」と言葉少なに答えている。
奈良県でも土佐弁を話し、飾らない人柄で慕われたという大原さんは、正規教員を目指して奈良県教員採用試験に再挑戦し、9月22日の結果発表を待っていたところであったという。
天川中の森本昭博校長(53歳)は取材に対し、「一方的に授業を進めるのではなく、生徒とのコミュニケーションを大切にしていた」「軽音楽部の副顧問としても、厳しい練習に挑む生徒を励ましていた」と話し、また、孫が軽音楽部に所属していた60代の女性は「残念ですが、(遺体を)見つけてあげられたのはよかった」と沈んだ声で取材に答えている。
2020年4月20日、京都市立高校1年・仲林秀晃さん(15歳)
2020年4月20日に奈良県五條市の猿谷ダムに転落し、その後行方が分からなくなっていた、京都市西京区に住む京都市立高校1年・仲林秀晃さん(15歳)が、翌21日に遺体となって発見された。
仲林さんは20日、奈良県五條市の猿谷ダムに友人らと侵入、午後1時過ぎに一緒にいた友人から「(仲林さんが)誤って水中に転落した」と119番通報があり、その後、行方が分からなくなっていた。
20日から捜索が続けられていたが、21日午前11時半ごろ、県警機動隊員がダムの中心付近の水中に仲林さんが心肺停止状態で沈んでいるのを発見、診療所に搬送したが死亡が確認された。死因は溺死だった。
新型コロナウイルスの影響で全国緊急事態宣言が発令され、京都市立高校は全て休校となっており、また、不要不急の外出自粛が要請されているさなかであったが、仲林さんらは、観光目的で奈良を訪れていた。
警察によると、仲林さんは友人の高校生4人とそのうち1人の父親(49歳)のあわせて6人で、ダムの近くの食堂で食事をするため奈良を訪れていたとのことである。
仲林さんは友人らと、柵を越えてダムの敷地内に入り、ダムの壁面を歩いて降りようとした際、斜面になっている場所で誤って転倒し、約27mほど下の水面に転落したということで、詳しい状況についてさらに調べが進められている。