些細な隣人トラブルから、隣人一家3人を包丁で刺殺

1983年5月14日、佐賀県鳥栖市水屋町に住む大石国勝(当時38歳)がホースバンドを固定する金具が紛失したと、隣家の高輪清治さん(38歳)宅に押しかけ問い詰めたが、逆に高輪さんから怒鳴られ激昂、高輪さんと妻のヒロ子さん(36歳)と長男の賢規君(13歳)を包丁で次々と刺し殺した。
犯行の経緯と動機
大石国勝
無口で、人付き合いはほとんどしておらず、近所の人達とは挨拶をする程度の間柄だった。頭痛やめまいで精神科に通院していたこともある。
1983年5月14日、佐賀県鳥栖市水屋町の会社員・大石国勝(当時38歳)宅でわずか1個の水道用ホースバンドを固定する金具が紛失した。ちなみに、これは240円程度のものである。大石は窃取されたと思いこみ、その犯人捜索のため会社を欠勤し、2日間に渡って近隣在住の人々を片端から執拗に聞きこんだ。
聞きこみを続けるうちに、大石は以前に自身が所有するトラクターの電気配線にいたずらをしたことを認めた隣家の高輪清冶さん(38歳)宅の長男・賢規君(13歳)が犯人ではないかと一方的に、憶測で考えた。
事件当日
5月16日PM6時10分頃、大石は高輪さん宅を訪れ、ホースバンドの心あたりを同人に尋ねたものの、口論になり「しまやかしてやる」などと怒鳴られたために、立腹して自宅に引き返し、出刃包丁を着衣の中に忍ばせて、高輪さん宅に戻った。大石は電話中の高輪さんに「もう電話なんてせんでよかよ」と制止したが、高輪さんやその妻・ヒロ子さん(36歳)から無視され、逆に高輪さんから胸ぐらをつかまれて力いっぱい引っ張られた。
これに大石は激昂し、隠し持っていた包丁で高輪さんとヒロ子さん刺した。さらに自宅から大石宅倉庫、さらに高輪宅へと100mにも渡って逃げ惑う賢規君を追い駆け、切りかかり、一家3人を殺害した。
事件当時、そろばん塾に行っていた小学4年・尚代ちゃんだけが無事だった。
判決とその後
1987年10月12日、佐賀地裁、死刑判決。
1989年10月24日、福岡高裁、控訴棄却。
1995年4月21日、最高裁、上告棄却。死刑確定。
2000年11月30日、死刑執行。(享年55歳)