一家を殺害した父、Nシステムが活躍し逮捕
1994年11月3日、横浜市鶴見区の京浜運河から茨城県つくば市に住む31歳女性がビニール袋に入れられ重しがつけられた状態で発見され、続いてその長女(2歳)と長男(1歳)の遺体が発見された。
3人は夫であり父親である総合病院の医師・野本岩男(29歳)から捜索願が出されていた。
捜査を続けていくにつれて、夫婦間にトラブルがあったことが判明。
11月25日、夫は殺人及び死体遺棄罪で逮捕された。
犯行の経緯や動機
野本は当時の彼女と交際中に妻と深い仲になり、妻は妊娠するも中絶。
二度目の妊娠を期に責任を取る形で結婚する。
野本が投資の失敗や浮気相手へ散財し、妻が昼は事務職、夜はランジェリーパブで働くが、野本の出費が収まらず、さらに借金返済に追われていた。
10月29日午前5時、野本は愛人問題等でかねてから夫婦仲が悪くなっていた妻より、野本の浮気を病院に暴露すると言われ、また慰謝料請求の話で口論になる。
妻は包丁とロープを持ち出し「いっそのこと私を殺せばいい」と自分の首にロープを巻きつけソファーから飛び降りて見せたり、病院長に愛人のことを訴えると言い出したためロープで首を絞め、両手で鼻と口を塞いで窒息死させた。
子供2人については、父が殺人者となり残されることを不憫に思い、眠っているところを首をロープで締めて殺害した。
犯行後そのまま病院に出勤し、帰宅後に3人の遺体を自家用車のトランクに入れ自宅を出発。
途中ストリップやソープランドに立ち寄り、大黒ふ頭で遺体を海に投げ込んだ。
また、遺棄した日の翌日から、愛人である勤務先の看護婦との北海道旅行も予約していた。
11月25日、妻と子供の殺害及び遺体遺棄で野本は逮捕される。
その後17日間野本は犯行を否認したが、Nシステムの画像で野本岩男の当日の足取りが判明したことで犯行を認め、自供を始める。
判決とその後
遺体発見後直ぐに野本の事情聴取が行われた。
野本は、自宅に帰ったら妻と子供が消えていた。
行方不明になった理由については全く心当たりがない。
当初妻と子供は実家に帰っているのだろうと思っていたが、実家にいない事が判明し慌てて捜索届を提出したと証言する。
1996年2月22日、死刑を求刑されるも犯行は計画的なものではなく衝動的だったとして無期懲役判決が下される。
大学時代の友人や病院の上司や患者から「温厚で明るい好青年だった」「熱心で親切な先生だった」と証言され、3000を越える減刑嘆願書が届けられた。
控訴するが棄却。上告したが取り下げ、無期懲役が確定した。