初めて15歳少年が逆送された公開刑事裁判で明かされた耳を塞ぎたくなる「鬼畜の所業」
2002年9月2日夕方、少年2人(それぞれ15歳、16歳)が、福岡県生まれで住所不定、元新聞拡張員中島順司(35歳)と共謀し、宅配便業者を装って郡山市の女性宅に押し入り、現金などを奪って暴行。
翌日夕方まで監禁し、その間にキャッシュカードで現金16万円を引き出し、クレジットカードで新幹線回数券26万円分を購入した。
少年法改正(2001年4月)による刑罰対象年齢引き下げ以降、全国で初めて16歳未満で家裁から「刑事処分相当」として検察官送致された事件。
事件の経緯と詳細
「可愛いコが独り暮らしをしている」(以下、3人の発言はすべて冒頭陳述書朗読より)
そんな何気ない一言が、事件の入り口だった。
当時、中島被告を含め3人は同県いわき市内の会社で読売新聞の拡張員として働いていた。中島被告からその話を聞いた国分榮太郎は自分も新聞の勧誘と称してその女性の部屋へ赴き、「アレは可愛い。強姦してでも性交したい」と思うようになったという。
国分榮太郎(16)と服部英之(15)(雑誌「フライデー」が少年らを実名報道した)は中学校のサッカー部の先輩後輩という関係で、二人とも高校へは進学していたが、次第に不登校になって、夜出歩くようになり、ついには二人とも家出してしまった。
新聞拡張員の仕事は寮が用意されていたため、家賃を払う必要はなかったが、給料は完全歩合制だった。成績の悪い3人はカネに困っていたという。
事件前日、金に窮した中島被告が少年らを呼び出し「オートバイを盗もう」と持ちかけた。その席で、国分が「(女性が)かわいかった。レイプしたい」と口にした。翌二日、バイク盗をするために郡山市内へ向かう電車内で、中島被告が、予定を変更して女性を襲うことを提案、三人は女性宅に向かった。
そんなとき、中島被告が二人に、強盗をしようと持ちかけた。
「この前のあのコがいい。あのコを犯してみたい」(国分)
強盗と強姦。凶悪な欲望を女性に向けた少年たち。中島被告が宅配便の配達員を装って扉を開けさせ、少年らが室内へ押し入って女性をテープで縛りつける、お互いを偽名で呼び合うなど、大人顔負けの犯罪計画を立てたのだった。
「警察に言ったら、殺す」
「宅配便です」
2002年9月2日の午後6時30分ごろ、ドアを開けた女性を、中島被告は一気に押さえ込んだ。
その後、少年たちも侵入し、悲鳴をあげる女性を縛りつけた。目的はあくまでカネだった中島被告は、女性の財布からカードを抜き取り、キャッシングができるかどうか確認するために外出する。また、女性に指示して、母親に現金を振り込むよう電話をさせ、女性から奪ったキャッシュカードで、約十六万円を引き出した。さらに、クレジットカードで新幹線の指定席券、計26万6400円分を購入し、換金した。
「こいつ、やってもいいっすか」(国分榮太郎)
もはや強盗よりも強姦が目的だった少年たちは、無慈悲な言葉を吐いた。嫌がる女性を二人は怒鳴りつけ、「うるせぇ!俺らを誰だと思ってんだ!」と脅迫したのだ。
「この女性は地獄を見た、と思った。強姦の被害者を多く診たが、ここまでひどい(被害に遭った)人は見たことがない」
事件後、女性を診察した警察医はそう証言している。まさに地獄だった。国分榮太郎は下半身を出したまま仰向けになり、女性に「上を跨またいで腰を下ろせ!」と命令。室内にあった包丁を服部英之に持ってこさせ脅迫し、強姦を始める。
その後、粘着テープで目と口をふさぎ、手を後ろで縛り、代わる代わる乱暴した。
さらに部屋にインスタントカメラがあるのを見つけ、写真を撮って、女性が後で訴えられないようにした。続いて服部英之も、恐怖で抵抗することもできない女性を犯した。その後、浴室やロフトベッドで約22時間もの間、およそ10 回にわたって代わる代わる女性を陵辱したのだ。
「警察に言ったらわかってんだろうな。殺すからな……」
中島もカネを手に入れた後、強姦に加わった。醜悪な欲望を満たした3人は、翌日の9月3日の午後4時ごろに女性の部屋から去った。
女性は下着姿で縛られ、階段を外したロフトに監禁されたままだった。
判決とその後
少年らは2002年9月27日に逮捕され、未成年の2人については家裁送致となった。
2002年12月4日、少年審判に回った15歳・16歳の少年ら2人について福島家裁郡山支部の鈴木桂子裁判官は、検察庁に逆送(検察官送致)する決定を下した。
決定理由で「少年らは、事前に謀議の上、計画的に本件非行を行っている。執ようで非道きわまりない」と断じた。特に「被害者の受けた心の傷が生涯いやされることのない深刻なものであることは誰の目にも明らかであり、少年に対しては厳しい処分を望んでいる」と、厳しい被害者感情に言及している。
15歳少年の関与についても「中核的な役割を果たしているのは成人共犯者であるものの、被害者方に侵入後、被害者に直接犯行を加えたのは、むしろ少年の方であって、少年の行為により被害者が心身ともに大きな傷を負うに至っていることを考えれば、責任は重大」とした。
2003年1月31日に福島地裁郡山支部で初公判が開かれた。116名の傍聴希望者が集まり、19席しかない傍聴席はすぐに埋まってしまった。そして午後2時に開廷。
「事件の後、男の人が怖くなりました。夜は睡眠薬を飲まないと寝ることもできません。家から出ることが怖いし、一人で歩くのも怖い。道で男性とすれ違うだけで、震えてしまうんです……」
「私はこの事件で一生消えない傷が心に残りました。なのに、犯人たちは何年かすると社会に出てくるかと思うと、悔しくてしかたがありません……」
冒頭陳述書には、前述の凶悪な犯行の様子が記されており、被害者の悲痛な思いを検察官が読み上げた。(罪状は、住居侵入・強盗・強姦・監禁・窃盗・詐欺。)
改正後初の逆送
「間違いありません」
起訴事実の認否について裁判長に問われ、服部英之は小さな声でそう答えた。少年法の改正以後、15歳以下としては全国で初めて刑事責任を公開の裁判で問われた事件となった。
増加する少年犯罪の対策として、改正少年法が2001年4月に施行された。成人と同様に刑事罰を問える年齢を、16歳以上から14歳以上にまで引き下げたのだ。だが、ホームレス暴行死事件(東京・2002年1月)や児童施設職員殺人事件(愛知県・2002年10月)など、少年による凶悪犯罪が続いたにもかかわらず、15歳以下の少年が検察へ逆送され、刑事罰を問われることは一度もなかった。つまり、服部英之は、15歳以下としては全国で初めて逆送されたのである。
2003年8月27日、国分榮太郎(16)と服部英之(15)の論告求刑公判が福島地裁郡山支部(宍戸充裁判長)で開かれ、検察側は2人に懲役4年以上8年以下を求刑した。
弁護側は最終弁論で2人を家裁へ移送し、少年院で教育を施す保護処分を求め、結審した。対して弁護団は「少年が被害の重大さを学び、心から謝罪の気持ちを持たなければ被害者は救われない。反社会性は進んでおらず教育で更生する可能性は高い」「週刊誌の記事で事の重大さを理解し深く反省している」と情状を求めた。
また、2人はそれぞれ「一生かけて償いたい」(国分榮太郎)、「被害者に申し訳ないと思っています」(服部英之)と語った。
2003年11月20日、福島地裁郡山支部で判決公判が開かれた。
宍戸充裁判長は「犯罪の重大さ、被害感情の激しさ、少年らの関与度から刑事責任は極めて重く、保護処分では社会正義と著しく均衡を失する」として、服部英之に懲役3年6月以上6年以下、国分榮太郎には同4年以上7年以下の不定期刑(求刑はいずれも懲役4年以上8年以下)を言い渡した。
公判終了後、弁護側は記者会見し、「少年の個別の事情が十分検討されておらず、一言で言うと『刑罰先にありき』の判決」と批判した。特に、判決文朗読の後、裁判長が被告人に語り掛ける「説諭」がなかったことを問題視し、「更生可能な少年を切って捨てたようなもの」と怒りをあらわにした。また、「少年院は刑務所と比べると甘やかされるとみられがちだが、自分の犯した罪に向き合う教育を受けることの方が、少年にとって厳しいことを知ってほしい」と訴えた。
一方、元最高検検事で、帝京大法学部の土本武司教授(刑事法)は「これまでの少年審判は、少年の治癒能力に期待していたが、現実には凶悪事件が多発している。単なる更生保護だけでなく、刑罰を科すのが社会感情になっていると言える」と判決を高く評価した。
2003年12月1日、国分榮太郎は控訴しない方針を決めた。一方、服部英之はこの時点で、控訴するかどうか決めかねていた。しかしその後、12月3日、服部英之も控訴断念を決めた。
弁護人によると、少年は(1)控訴するとさらに報道され被害者を苦しめる(2)早く責任を取るべきだと考えた、という2点を理由に挙げたという。弁護団内には控訴すべきだとの意見もあったが、少年と少年の父親の意思を尊重したという。
ちなみに、2003年9月25日、仙台高裁松浦繁裁判長は「ずる賢く悪質で、粗暴な犯行。事件の首謀者で、責任は最も重い」などとして、懲役十一年を言い渡した一審判決を支持、控訴を棄却した。10月7日、中島は最高裁に上告している。