日本最大の食品偽装事件、社長「セール品を喜んで買う消費者にも問題がある」
「ミートホープ食肉偽装事件」は2007年に起こった、日本で最大となる食品偽装事件である。
本事件に前後するように「食品偽装問題」はひとつの社会問題として大きく取り上げられたが、ミートホープによる食品偽装の手口や流通規模の大きさや流通先に与えた影響の大きさから、特に深刻な社会不安を及ぼした事件として有名です。
ミートホープは田中稔社長の指示のもと、より安い豚や鶏などを混ぜたミンチ肉を「牛100%」と偽って出荷していた。
最初に発覚したのは、同社の肉を使って北海道加ト吉(赤平市)が製造し、日本生協連が全国で発売した「CO-OP牛肉コロッケ」。これは、朝日新聞が検査機関に依頼したDNA鑑定が決め手になった。
ミートホープの「牛ミンチ」は大手を含む多くの食品会社が使っており、商品撤去など業界は恐慌状態になった。
ミートホープは他にも
- ミンチの発色を良くするために家畜の心臓や血を混入
- 食中毒菌が検出された肉も学校給食用などに出荷
- 外国産の肉を北海道産、国産と表示
など、様々な不正が発覚した。
この問題をめぐっては、農水省北海道農政事務所が内部告発を受けながら長期間放置したことも明らかになった。
農水省側は「当時、道庁に対応を引き継いだ」などと釈明し、道庁が猛反発する場面もあったが、しかし、その道庁も、出先の保健所が内部告発を放置したり、立ち入り検査日をミートホープに事前に知らせていたりしたことが発覚した。
事件の経緯
食肉偽装に至った経緯
「ミートホープ」は北海道苫小牧市に本社を置いていた卸売業者で、1976年の創業以来、仕入れ業者から仕入れた牛肉や豚肉等の食品を業務用に加工して販売するという事業を展開していた。
創業者であり、当時社長であった田中稔氏は、中学校卒業後に、道内各地の精肉店で経験を積み、その食肉加工の豊富な知識や技術の高さから「天才」とまで称される人物だった。
また、田中氏は人当りも良く、社長自らが頭を下げて営業に回る姿も好感を呼び、創業当初のミートホープは、小規模の会社ながらも取引先からは「評判のいい」会社であった。
しかし、企業当初は順風満帆だった経営も、時代の流れとともにライバル企業の台頭が激しくなった結果、小規模企業であるミートホープは価格競争に勝てなくなり、次第に経営状態が悪化していきました。
そんな状況に頭を悩まされたことで、社長の田中氏は価格の値下げ交渉のため、肉の仕入れ業者に足を運びました。
そこで社長の目に留まったのが、肉の仕入れ業者から出る「廃棄予定の肉(以下、廃棄肉と表記)」で、業者から「廃棄にも金がかかるから、こちらも苦しい状況だ」と聞かされます。
そこで田中社長は、その「廃棄肉を引き取る」ことを条件に、交渉を成立させました。
前述の通り、「天才」と称されるほどに肉の加工方法を熟知していたため、古くなった肉を新鮮に見せる手法にも精通しており、この廃棄肉をばれないように加工し、販売する肉に混ぜてかさ増しを行うことを始めてしまいました。
しかし、この出来事をきっかけに、もともと「ワンマン社長」ではあったものの、田中社長の性格や、従業員への態度が粗暴なものへとさらに悪化していってしまい、もはや社長に進言できる社員がいなくなったことから、「食肉偽装」はさらにエスカレートしていきました。
エスカレートする食肉偽装
廃棄肉の「加工」によって販売価格を抑えられたことで、それまで頭を悩ませていた他者との価格競争に勝つことができたミートホープは、そこから急激に業績を上げることとなりました。
業績の向上とともに、会社事業を拡大していくこととなりました。
しかし、一方の従業員たちからは、この「食肉偽装」という「犯罪行為」を危険視する声が上がりました。
それに対し、田中社長は「アイデアだよ」と、悪びれることなく答え、その違法な「加工」はさらにエスカレートしていくことになりました。
そして社長は、ついには、
「牛と豚の区別がつくやつなんていない」として、牛肉を豚肉と偽って販売したり
「ミンチにすれば分かりはしない」として、本来廃棄するはずの豚の心臓まで混入するようになりました。
こうした違法な手段により、順調に業績を伸ばしていたミートホープでしたが、ここで再び経営危機を迎えます。
それが、「直接食肉加工ができる大型スーパーの台頭」でした。
ミートホープが創業してから20年が経とうとしていた1995年、店舗内で直接食肉加工ができる大型スーパーが台頭し始めてきたことにより、契約を打ち切られるという事態が相次いだため、食肉加工を主軸としているミートホープの商品需要は徐々に低下しはじめました。
この事態を重く受け止めた田中社長は、さらなる事業の拡大と顧客の獲得のため、かねてから面識があり、また、「人脈」に優れた「赤羽喜六」氏のもとを訪ね、赤羽氏の入社を懇願しました。
(ちなみに、この「赤羽喜六」氏は、大手観光会社の常務取締役とホテル2棟の総支配人として活躍した人物であり、加工食品の卸先との「人脈」を幅広くもっていると見込まれた人物です。)
田中氏が訪問した際には既に還暦を迎えており、隠居を考えていましたが、田中氏による熱心な説得と、その真摯な対応に心を打たれて「偽装を知らないまま」に入社を承諾してしまいました。
「赤羽喜六」の入社
赤羽氏は当初、「ここが人生最後の職場だ」との意気込みをもって会社に向かいました。
しかし、実際に出社してみると、田中氏の態度は180度激変しており、あまりのそっけない対応に驚いたそうです。
また、食肉加工に関しては全くの素人(シロウト)だった赤羽氏は「知識をつけるために加工現場を見学したい」と申し出ますが、田中氏からの回答は「あなたはそんなこと気にしなくていいから、とにかく営業をかけて取引先を増やしてきてくれ」というもので、決して加工現場を見せようとはしませんでした。
赤羽氏は、そんな田中氏の態度に不信や不満をもちながらも、自信が働いている会社が犯罪行為に手を染めているなどとは想像することもできず、優れた手腕を発揮して営業を続け、着実に取引先を増やしてミートホープの業績を伸ばしていきました。
しかしその裏で、さらなる利益に目のくらんだ田中氏による食肉加工・経費削減のための「アイデア」は、悪化の一途を辿っていたのでした。
ちなみにこの当時、田中社長が実施していた「アイデアの一例」を挙げておくと…
- 肉に賞味期限切れのパンを混ぜ、水を注射してかさ増し
- 廃棄肉をプールの消毒液などに使う薬品(次亜塩素酸)で消毒し、動物の血液で着色
- 配管工事をして作業場内の貯水槽に雨水をため、その水で肉の解凍を行う
といった、とても常識的には考えられないような、卑劣で非道な違法行為を平然と繰り返していました。
深まる疑念
そんなある日、赤羽氏のもとへ取引先から「異物が混入していた」との連絡が入ります。
そこで、赤羽氏は謝罪のため、急いで取引先へと出向きました。
しかし、業者の怒りはおさまらず、「すべての肉の返品」や「契約解除」を申し立てられてしまいます。
赤羽氏は心から落胆し、会社へ戻ってこの一件を社長の田中氏に報告しましたが、「異物混入」という重大な事案にも関わらず、田中氏は全く気にしない様子で「今後もクレームがあった場合は、気にしないで返品してもらうように」とだけ、淡々と答えました。
さらに田中氏は、返品された肉は検査や処分をすることなく、ラベルを張り替えて別の取引先へと納品するように指示を出したのでした。
この一件を受けて、赤羽氏の不信や疑念は限界を超えたことで、ついに「内部告発」の文字が頭をよぎるようになりました。
食肉偽装告発の決意
まず、赤羽氏は田中氏の目を盗むようにして、直接食肉加工場へと足を運びます。
そして、ついに「食品偽装の一部始終」を目撃することとなりました。
さらに、従業員から詳しい話を聞いたことで、ミートホープがこれまで行ってきた違法行為の数々についても知ることになりました。
知らず知らずのうちに犯罪の片棒を担ぎ、自らの手で「偽装肉」を全国各地へ営業・拡散していた事実を知って愕然とする一方で、やはりこれまでヒートホープによって行われてきた悪行の数々を黙ってはいられないと強く思わされたことで、赤羽氏はついに「内部告発」を決心します。
そこで、まず初めに、自身の身を明かさず、公衆電話から数々の行政機関への告発を行っていったのですが、匿名での告発は「いたずらやライバル企業による、評判を落とすための工作ではないか?」と疑われてしまい、結果、まともに取り合ってもらえる機関はありませんでした。
なかなか上手く事が運べず、苦心する赤羽氏でしたが、そんなとき、彼のもとに一本の電話がかかってきました。
電話の相手は、元ミートホープ職員で「直接会って話がしたい」とのことでした。
そこですぐに相手のもとを訪れ、話を伺ったところ、元従業員は「数々の犯罪行為に耐え切れずにやめた」「田中氏がトップである限りあの会社は黒いままだ」「本気で何とかしたいなら覚悟を決めなければならない」という思いのたけを赤羽氏にぶつけてきました。
赤羽氏はその元従業員の真剣な思いと言葉に背中を押される形で、2006年、11年間勤務したミートホープを退社し、赤羽氏自らが名乗り出ることにより、ミートホープのこれまでの悪行を白日の下にさらす決意を固めました。
そしてその後、赤羽氏は「保健所」や「農林水産省」に直接アポイントメントを取り、「偽装肉」を持参して告発を行いますが、「持参した肉が本当にミートホープで加工されたものだという確証が得られない」として、ここでも動いてもらうことができず、再び頭を悩ませる状態に陥りました。
ですが、そんな時、同じくミートホープのやり方に不信感をつのらせていた3人が、赤羽氏の行動を知って退社し、告発に協力してくれる運びとなりました。
それから、彼らのサポートのもとTV局や新聞社にFAXを送り続けたところ、2007年春に「朝日新聞社」が興味を示し、赤羽氏一同と面会することになりました。
朝日新聞によって暴かれた真実
そうして朝日新聞社と対面することになった赤羽氏一同は、取引先への納入リストといった偽装の証拠となるものをいくつか示し、ミートホープの犯罪行為を世間に知らせてもらえるように必死に懇願しました。
また、それらの証拠や、彼らの真剣で熱意ある態度から、「これはいたずらや工作の類ではない」と判断した朝日新聞社は、偽装の確固たる証拠をつかむため、ミートホープで加工された肉が使われている食品をスーパーで購入し、専門機関に依頼してDNA検査を行いました。
当然の結果ですが、検査の結果は「表示内容とは違う異物が混入されている」というものであったため、これで確証を得たと考えた朝日新聞社は2007年6月、ミートホープの食肉偽装について紙面で大々的に報じました。
そこから、ミートホープの過去の悪行の数々が、次々と暴かれていき、後の農林水産省の調査によると、ミートホープからの流通量は
- 一般消費者用 4300トン
- 業務用 5504トン
- 特定施設向け 34トン
※内14トンが学校給食用として22道府県で取引されていた
という事実が判明し、すぐに会見が開かれることになったのです。
会見・インタビューの様子
会見での田中氏は以下のような曖昧な発言を行いました。
「まぜたというより混ざった」「たまたまだ」
これに対し、会見に同席していた長男から
「本当にやったというのであれば、社長、本当のことを言ってください」
という発言を受けて態度を一変し、「指示したことはあります」と、罪を認めることとなりました。
ちなみにこの時、社長は「どのように肉を混ぜるのかという単価計算のされた紙を持って」おり、後の調査で次のような事実が明るみに出ました。
- 牛肉100パーセントの挽肉の中に、豚肉・鶏肉・パンの切れ端などの異物を混入させて水増しを図った
- 色味を調整するために、血液を混ぜたり、味を調整するために、うま味調味料を混ぜたりした
- 消費期限が切れた肉やクレーム品として返品された肉をラベルを変えて出荷していた
- 腐りかけて悪臭を放っている肉を屑肉にして少しずつ混ぜ、成型肉として出荷していた
- 牛肉以外にもブラジルから輸入した鶏肉を「日本産の鶏肉」と偽って、自衛隊などに販売していた
- サルモネラ菌が検出されたソーセージのデータを改竄した上で、小中学校向け学校給食に納入していた
こうした実態が明らかになったことで、ミートホープによる長きにわたる食肉偽装の歴史は幕を下ろしました。
判決とその後
2007年6月24日、原料などに虚偽の表示をした不正競争防止法違反の疑いで、同社や、同社の原料を仕入れて冷凍食品を製造していた北海道加ト吉(北海道赤平市)などに対し、北海道警による家宅捜索が行われた。
2007年7月17日に自己破産を申請、同日破産手続が開始決定された。(2008年8月7日、費用不足のため破産廃止すなわち法人格消滅となり、全社員が解雇される事態に及んだ。本社屋は売却後に一旦は残されたものの買い手がつかなかったため解体されて現存しない。 )
2007年10月24日、北海道警は田中稔社長(69)や工場長経験者ら4人を、2016年8月~2017年7月の1年間、豚や鶏を混入したミンチ肉百数十トンについて「牛100%」とうその表示をして出荷したとする不正競争防止法違反(虚偽表示)の疑いで逮捕した。
2007年11月7日、北海道警は社長の田中稔容疑者(69)のほか、三男で専務の田中恵人(34)、総工場長の中島正吉(59)、汐見工場長の岩谷静雄(64)の各容疑者を、いずれも虚偽表示容疑で逮捕、追送検した。
田中社長は逮捕・起訴され、2008年3月19日に、不正競争防止法違反(虚偽表示)と刑法の詐欺罪で、札幌地方裁判所で懲役4年の実刑判決を受けた。
田中社長はマスメディアの取材や公判に於いて、「半額セールで喜ぶ消費者にも問題がある」「取引先が値上げ交渉に応じないので取引の継続を選んだ(コストダウンのため異物を混入させた)」などと他者に責任を転嫁する発言を繰り返した。
しかし一方で、食に対する不安を与えた事については謝罪しており、「早く罪を償いたい」として札幌高等裁判所に控訴せず、確定判決となった。
内部告発者「赤羽喜六」の後悔
この事件は、告発者の赤羽氏にも深い傷跡を残しました。
報道の1か月後、ミートホープは自己破産し、100人近い従業員が全員解雇されてしまったことで、ミートホープ時代の同僚との連絡を絶つことになりました。
また、かつての取引先からは「偽装と知っていて売りつけたのか」と批判され、妻とも離婚することとなり、親族からは絶縁を言い渡されることとなりました。
そうして、周囲の視線が気になるようになり、寝つけない夜が続くようになってしまったことで、住んでいた苫小牧市を離れて生家の長野県で隠遁生活を送ることになってしまったそうです。
赤羽氏は2017年、Yahoo!ニュースの取材に対し、次のように後悔の念を訴えています。
「あの時はね、やはり勇気があったと思う。(会社が)こんなことしていいのか、と。すべてが偽装だったんだから。でも、今になってみればね、『バカなことをしたな』という気持ちが強いね。社会的には意義があったかも知らんけど、本人の利益を考えたらだめですね。後悔したって仕方がないけど、返り血が大きすぎますから」
内部告発者の「誇り」と「悔い」 「事件後」の日々を追って Yahoo!ニュース 2017/6/14(水) 10:30 配信
社会に与えた影響
最盛期は、北海道の食品加工卸業界売上第1位であったことや、2006年4月には「挽肉の赤身と脂肪の混ざり具合を均一にする製造器」を開発したとして、文部科学大臣表彰創意工夫功労賞を受賞した実績もある、いわゆる「信頼できる優秀かつ有名な企業」と認識されていたミートホープによる大胆な食品偽装の暴露は、世間に対して「食品に対する不安」を強く刺激した。
それに加え、本事件と時期を同じくして、2007年6月には「白い恋人」で有名な石屋製菓の「ミルキーロッキー」で大腸菌が確認され、また、8月には同社による「白い恋人」や2番手主力商品の「美冬」の賞味期限改ざんが発覚するなどしたことから、世間の食品に対する不安は一層高まった。
これらの事件の発覚を発端として、その後も類似の事件が相次いで発覚したことから、「食品偽装問題」は大きな社会問題となりました。
消費者庁HP・平成26年度版消費者白書より引用
食品包装や外食メニューにおける表示と異なる食材を使用した問題は、近年では2007年の食肉偽装事件等がありましたが、2013年には多数の事案が明らかになり、いわゆる「食品偽装」や「食品表示等問題」等として社会問題化しました。(中略)これら一連の問題は、景品表示法が禁止する優良誤認の表示(商品又はサービスの品質、規格その他の内容について、一般消費者に対し、実際のもの又は競争事業者のものよりも著しく優良であると誤認させる表示)に当たるものとして問題となり得るものでした。