選挙期間中の現職市長が暴力団幹部に射殺されるという稀有な事件

2007年4月17日午後7時51分、前長崎市長(当時)の伊藤一長さんが、JR長崎駅付近の選挙事務所前で銃撃され、翌18日に出血多量のため亡くなった事件。
犯人の暴力団幹部・城尾哲弥(60歳)は、その場で通行人に取り押さえられ、駆け付けた警察官によって現行犯逮捕された。
ちなみに、長崎市長への銃撃事件は1990年にも起こっているが、この時の市長は奇跡的に一命をとりとめた(右翼団体「正気塾」所属・若島和美(旧姓・田尻、犯行時40歳)が逮捕、懲役12年)。伊藤市長の銃撃事件後、警察は「2つの事件には何ら関係性はない」と発表したが、城尾はその銃撃事件の犯人と面識があったことが判明している。
事件の経緯と動機

伊藤前市長は長崎市長選の選挙活動中であり、遊説(ゆうぜい)を終えて事務所に戻り、記者会見を開く予定であった。
事務所スタッフが記者たちに伊藤前市長の到着を告げた直後、銃撃事件が起こった。
銃撃は2発で、どちらも伊藤前市長の背中に命中し、病院に運ばれたときには、心臓と肺が裂けて心肺停止の状態だった。
犯人の城尾は、その場で通行人に取り押さえられ、駆け付けた警官に現行犯逮捕された。城尾はこの時、銃弾およそ20発を所持していた。
暴力団の幹部だった城尾は、長崎市の建設会社社長を脅し、会社の金を自由にしていたという。しかし、その会社が資金繰りに窮するようになったため、中小企業連鎖倒産防止資金融資制度を受けさせようと考えていた。
だが、審査に通らず、会社は2004年に倒産してしまった。また、2003年には、長崎市発注の歩道橋工事に入札したが落札できず、さらに同工事現場で自動車による事故を起こし、車両保険をめぐって市とトラブルになっていたという。
これらのことが原因で、城尾は長崎市とその代表者である伊藤前市長に恨みをもったのではないかと推測されている。
城尾哲弥の来歴

城尾は1965年頃に暴力団組員となり、若頭に就任、次期会長になるのではないかと言われていた。
しかし、周りから会長としての器を問われ、2002年5月頃、会長代行とされた。これは実質的な降格であり、次期会長就任の見込みは断たれた。
1989年7月頃には、当時の長崎市長を「公表すれば問題になる写真をもっている」と脅し、多額の金銭を要求した恐喝未遂事件を起こして逮捕されている。
また、これらを含め、服役6年を含めた前科9犯がある。
判決とその後
2008年5月、長崎地裁は「選挙を混乱させるなど民主主義の根幹を揺るがした」と指摘し、城尾に死刑判決を言い渡した。
弁護側はこれに控訴し、2009年9月、福岡高裁は1審判決を破棄して無期懲役とした。
この判決を不服とした検察側は最高裁に上告するも棄却され、2012年1月16日に無期懲役が確定した。