事件・事故

西鉄バスジャック事件(ネオ麦茶事件)

機動隊員VS谷口の15時間半に及ぶ攻防戦の結末とは

西鉄バスジャック事件とは、2000年(平成12年)5月3日に発生した谷口誠一(当時17歳)少年によるバスジャック事件です。

佐賀駅バスセンターから福岡・天神行きの西日本鉄道高速バス「わかくす号」が出発し、その最中に起きた事件でした。

谷口は刃物を手に西鉄バスを乗っ取ったこの事件は、匿名掲示板2ちゃんねる(5ちゃんねる)に「ネオ麦茶」を名乗る犯行予告の書き込みがあったことや、また、日本国内で初めてスタングレネードを使用した突入の様子がテレビ中継されたこともあり、世間を震撼させました。

犯行の動機や経緯

2000年5月3日12時56分、佐賀駅バスセンターより、福岡・天神行きの高速バスが出発。

出発からおよそ40分後となる13時35分頃、九州自動車道の大宰府インターチェンジ付近において、運転手の真後ろに座っていた少年が刃渡り40cmの牛刀を運転手に突き付け「言う事を聞かないと殺します。」「天神には行くな、このバスを乗っ取ります。」と言ってバスを乗っ取り、事件の発端となりました。

そしてここから谷口のバスジャックは15時間以上に渡って続きます。

人質は運転手含め22人。乗客に荷物を前に集めさせ、後ろの席に下がるよう指示しました。この時、この騒ぎに気付かず眠りについていた東京都在住の高取千佳さん(当時34歳)に牛刀を首筋に突き立て「あなたたちが行くのは、天神ではなく地獄です。」と言ったといいます。

その後、谷口は乗客に「女性客は前に、男性客は後ろに移動すること」や「携帯電話や手荷物を集めること」など様々な指示を繰り返し、最後にカーテンを閉めるよう指示します。

このような指示の飛ぶ中、中央の座席で少年に気づかないまま眠り続けている女性(34歳)がおり、少年はその女性に近づくと「あなた、ふてくされていますね」と声をかけ、牛刀で首筋を刺しました。

結局、山口県の山陽自動車道に達するまでに乗客3人を切り付けました。

谷口は、その間乗客にトイレに行くことを許可しました。バスを路肩に停めさせ、「逃げたりしたら、残っている乗客を全員殺します。」と言い、一人ずつ降ろします。

しかし、1人目の女性は降りたまま戻って来なかったのです。

これを機に、谷口は興奮した様子を見せ、「僕は約束を守ります。見せしめです。1人殺します」と山口由美子さん(当時50歳)の席に近づき、首に何度も牛刀を刺しました。

また、乗客のひとりが走行中のバスの窓を開け、飛び降ります。それに気づいた谷口は塚本達子さん(当時68歳)に「逃げようとしているんですか。」と首を刺したのです。

一方、このとき同時に、逃げることに成功した女性がおり、その女性による公衆電話からの通報によって事件が発覚しました。

その後、警察車両によってバスは最寄りであった小谷サービスエリアに誘導され、警察車両に行く手を封鎖される形で停止。

食料や簡易トイレ、毛布などの差し入れを提供するという条件で、負傷した人質3人が解放されることになりました。

しかし刺された3人のうち、塚本さんがすでに失血死しており、日本のバスジャック事件において人質が死亡した初めての事件となってしまいました。

その後、バスを包囲した警察と少年とのやり取りは3時間半ほど続き、少年の母親や、少年の通院する病院のかかりつけの医師も少年の説得に加わりました。

しかし、少年は説得に応じる様子は一切なく、それどころか、一人で乗車していた6歳の少女を近くに座らせ、盾にした状態で、バスジャックを継続しました。

その後、警察との膠着が続き、事件発生から約15時間半ほどが経過します。

そして、5月4日午前5時過ぎ、引き続き小谷サービスエリアで停車中、盾にされていた少女が少年から一瞬離れたことから、警察官の「手袋を路面に落とす」という突入の合図が出されます。

そうして、15名のSAT(特殊部隊)の突入により谷口は逮捕。この突入で機動隊員1人が左足を切り付けられ負傷しました。この様子はテレビでも生中継されています。

ちなみに、この突入の際には「音響手榴弾(スタングレネード)」が使用され、この武器の使用は国内初のものとなっており、以後の人質籠城事件において音響手榴弾が活用されるようになりました。

谷口は、成績優秀の優等生でした。しかし、小学校中学年くらいからいじめをうけるように。高校受験が目前に迫った1998年1月、クラスメイトの挑発を受け踊り場から飛び降りるも着地に失敗し重傷を負っています。

高校も中退し、家庭内暴力で家族を悩ませていたとのことです。両親は警察や精神科に相談するも事件を起こさない限り対処できないと断られ、そういった状況が谷口の苛立ちを助長させてしまったのでしょう。

谷口はこのような環境背景から、バスジャックそして殺人という犯行に至ってしまったと考えられています。

また、事件発生直前、少年は当時の2ちゃんねる(後に「5ちゃんねる」に改称)に、「佐賀県佐賀市17歳・・・。」というスレッドを立て、そのスレッドに【ネオ麦茶】というハンドルネームで「ヒヒヒヒヒ」という書き込みを残していたことから、本件は別名「ネオ麦茶事件」と呼ばれています。

判決とその後

谷口誠一は佐賀家裁での審議を経て、2000年10月京都医療少年院に収容されました。

精神鑑定の結果、解離性同一性障害と診断され、統合失調症を発病する恐れもあるという診断を受けたのです。

その後、両親は被害者に対して、賠償金を支払うことにしたのは、2001年4月。死亡者に550万円、負傷者2名合わせて350万円、軽傷者を含む残りの被害者には1人あたり20~40万円が支払われました。

2006年2月1日、谷口は1月中に仮退院していたと報道されました。また、社会復帰のための訓練も開始されたといいます。

バスに乗っていた人は気が気ではなかったことは確かです。こんなに怖い経験をした訳ですから、その後の心のケアも重要だったのではないでしょうか。

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