事件・事故

戸塚ヨットスクール事件

問題少年たちをスパルタ式に矯正。行き過ぎた体罰で訓練生が死亡。

1982年12月12日愛知県の戸塚ヨットスクールで訓練生の中学1年生Oくんが、戸塚宏(42)やコーチら15名に竹刀やヨットのオールなどで暴行を加えられ死亡した。

それ以前にも、Yさん(21)が暴行によって死亡しており、Mくん(15)とSくん(15)は、合宿の帰りに体罰を恐れ、太平洋を航行中のフェリーから海に飛び込んで行方不明になっていた。(あかつき号事件)

1983年6月13日、戸塚とコーチら15名が逮捕された。

事件の経緯

戸塚宏により設立された戸塚ヨットスクールは、当初は「戸塚宏ジュニアヨットスクール」の名称で、ヨットの技術を教える教室だった。

その後情緒障害等に戸塚の指導は効果があるとマスコミでブームがおこったことで、親元からスクールに預けられる生徒が増加し、指導内容を、ヨットの技術養成から情緒障害児の更生へと切り替えた。当時は教育界のカリスマとしてマスコミは好意的にとりあげていたが、後に事件が発覚した。

戸塚は「体罰は教育」という教育方針で、徹底的にスパルタ教育を行った。

訓練生を竹刀で叩くことを日常的に繰り返し、エスカレートさせていった。

判決とその後

争点は「体罰は教育の一環なのか、単に暴力なのか」であった。

1992年7月27日、名古屋地方裁判所(小島裕史裁判長)は、Yさん事件、Oくん事件についてそれぞれ傷害致死罪の成立を認め、あかつき号事件について監禁致死罪の成立を認めた。

その上で、戸塚宏に懲役3年、執行猶予3年(検察側の求刑は懲役10年)、コーチらA~Iに懲役1年6ヶ月から2年6ヶ月、執行猶予2年から3年を言い渡した。

執行猶予となったのは、戸塚と、C以外のコーチ8人について起訴後の勾留期間が1100日を超えていること、Cについても起訴後の勾留期間が1000日近いことが量刑上考慮されたためである。

弁護側は、体罰が正当業務行為であると主張していたが、この主張は退けられた。なお、Fは、強制わいせつ罪についても起訴されていたが、これについては無罪となった。

この判決に対して、検察側と戸塚、A、B、C、D、Fの6人が双方で控訴した。

1997年3月12日、名古屋高等裁判所(土川孝二裁判長)は「訓練は人権を無視。教育でも治療でもない」として一審判決を破棄し、戸塚宏に懲役6年、Aに懲役3年6月、Bに懲役2年6月、Cに懲役3年の実刑判決を下し、D、Fについて執行猶予判決を下した。

また、一審判決では、Yさん、Oくんの死因について外傷性ショックであるとの認定がなされなかったが、二審判決では、いずれも外傷性ショックが死因であると認定された。

この判決に対して、戸塚、A、B、Cの4人は即日上告した。

2002年2月25日、最高裁判所(福田博裁判長)は二審判決を支持して、戸塚らの上告を棄却。戸塚に懲役6年、また、コーチ陣ら起訴された15人全員の有罪が確定判決となった。

起訴から結審まで19年を要する長期裁判となった。

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