「肝試し」の少女2人、行方不明から24年後に遺体で発見も残る永遠の謎
1996年5月5日夜、2人の少女(ともに当時19歳)が、家族に「肝試しに行く」と言って富山県氷見市内の自宅を出発した。
向かった先は、北陸随一の心霊スポットと言われている、魚津市の「坪野鉱泉」と呼ばれる廃墟とみられたが、その後、友人のポケットベルに「今魚津市にいる」というメッセージを残し、行方不明になった。
坪野鉱泉は、夏場には肝試しの若者たちが集まり、富山県内外の暴走族の溜まり場にもなっていたこともあり、そのうち、暴走族に殺されて埋められたのではないかという噂や、北朝鮮に拉致されたんじゃないかという噂まで囁かれるようになり、巷では「神隠し事件」とも呼ばれ始めた。
しかし事態は一転し、少女らの失踪から24年後となる2020年3月4日、40キロも離れた射水市の伏木富山港で1台の車が引き上げられ、車中から少女らのものとみられる複数の骨が発見された。
遺体は発見されたものの、遺体の発見現場が廃墟からあまりに離れていることから、坪野鉱泉の廃墟との関連性が不透明であり、死因も不明で立件が困難なことから永久に”未解決”になると思われる事件である。
事件の経緯と詳細
1996年5月5日夜、富山県氷見市在住の二人の少女(ともに当時19歳)が、家族に「肝試しに行く」と告げて家を出た。
その後、友人のポケットベルに「今魚津市にいる」とメッセージを送ったのを最後に連絡が途絶え、消息不明となった。
富山県警は「肝試し」「魚津市にいる」というキーワードから、2人は魚津市にある廃墟となった「ホテル坪野」跡に出向き、その後失踪したという結論に至り、事件・事故の両面から捜査を開始した。
ヘリコプターを投入した大規模な捜索も行われたが、少女らの発見には至らず、手がかりが掴めないまま歳月が過ぎていった。
ホテル坪野、通称「神隠しホテル」
この「ホテル坪野」は、富山県魚津市坪野、富山県道67号宇奈月大沢野線付近にある鉱泉である「坪野鉱泉(別称:坪野温泉、坪の鉱泉)」に併設された宿泊施設であるが、1982年の倒産以降も建物は撤去されないまま放置されており、廃墟となっていた。(2020年4月時点で現存)
旅館の建物は8階建てで、広さは3,300m2。魚津市の史跡である坪野城跡の裏にあり、倒産・廃業前は日本観光旅館、国際観光旅館に指定されていた。
同施設内には、和風レストランシアターやクラブ『ダンス天国』、そば処『山里』、喫茶店『寿楽』といった飲食店や、ワイキキプールも設置されていたが、廃業後には不法侵入者によって天井や壁が破壊され、鉄筋を狙った金属泥棒なども発生するなど、不審者の頻繁に出没する場所となっていた。
実際に、北日本新聞によれば、1990年3月3日には、敷地内の薬師堂が全焼する火災が発生しており、暴走族を含む非行少年らのたまり場となっていたことが明らかにされている。
そして、1996年の失踪事件発覚後、少女らが「暴走族に殺されて埋められたのではないか」、「北朝鮮に拉致されたんじゃないか」という噂が流れ、本件が「神隠し事件」と呼ばれるようになったことで、ホテル坪野は「神隠しホテル」と呼ばれる有名な廃墟・心霊スポットとなった。
ちなみに、2007年8月に刊行された、47都道府県にある200件以上の廃墟を紹介した書籍『ニッポンの廃墟』では、北陸随一の肝試しスポットとして挙げられており、また、同書の「廃墟格付けランキングBEST100」によると、坪野鉱泉は西日本で第75位とされている。
失踪直後から1年後の報道
手がかりを得られないまま時間が経過した、事件から約一年後となる1997年5月4日、「少女不明から1年」と題した記事が2日間に渡り、地域ニュースとして『読売新聞地方版・富山よみうり』で特集を組まれ報じられた。
特集記事によれば、「女性の片方が所有し失踪当時運転していた乗用車も発見されていないことから、県警ヘリと山岳捜索隊を組織し、崖下など車が転落しそうな地点を捜索したが発見に至らず、当時の坪野鉱泉が暴走族のたまり場であったことから事件に巻き込まれた可能性もある」とのことであった。
また、同記事内では「坪野鉱泉旅館跡地は週末になると石川県、新潟県、福井県、岐阜県など他県からの暴走族が集会に集まる場所となっている」ことや、「地元民から治安上危険な場所として不安視される声が出ている」こと、さらに、「敷地内はガラスが割られ、落書きされ、立ち入り禁止を示すロープなどは切断されるなど危険な場所となっている」ことなどが報じられた。
「新潟少女監禁事件」をきっかけに再び報道
事件から約4年が経とうとしていた2000年1月28日、「新潟少女監禁事件」の犯人逮捕を受け、富山県警がこの失踪事件の捜査について再確認を行ったことが『北日本新聞』で報じられたが、捜査は進展しなかった。
ちなみに、この「新潟少女監禁事件」は、監禁期間が約9年2カ月という長期に渡っていたことや、事件に関わる新潟県警の捜査不備や不祥事が次々と発覚したことなどから社会的注目を集めた事件である。
捜査に進展が見られたのは、失踪事件から、なんと18年後のことであった。
彼女らが消息を絶ったのが1996年、それから18年後の2014年の末に、県警は目撃者が複数いるとの情報を得たが、目撃者の特定には至らなかった。
目撃者が特定されたのは、さらに5年後の2019年のこと。
そして特定された目撃者3人に対して、2020年1月に聴取が行われたが、県警が目撃者の存在を把握してから聞き取りを行うまで、6年を要したことになる。
目撃者の供述は「96年の大型連休の深夜に、海王丸パーク(富山県射水市海王町8)付近で、駐車中の女性に声をかけようと近寄ったら、女性2人が乗った車が後ろ向きに急発進して海に転落した」「怖くなってその場を立ち去り、通報はしなかった」という、とても24年前の出来事とは思えないほど具体的なものであった。
その後、海王丸パーク周辺を中心として捜索が行われ、同2020年3月4日、富山県射水市八幡町にある伏木富山港の岸壁付近の海底にて、女性2人が乗っていたものとみられる軽乗用車があるのが見つかり、また、車内から複数の人骨が発見された。
坪野鉱泉で事件が発生したのであれば、車で移動しても1時間程を要する距離、での発見である。
なお、車内から発見された人骨は死後10年以上が経過しており、死因はおろか年齢や性別も特定できない状況であったが、その後、車の識別番号や車内にあった所持品から、身元を推定された。
しかし、死因が特定できない以上、仮に殺人事件だったとしても立証・立件することは不可能に近く、また、立件できたとしても死体遺棄罪に留まるとみられ、さらに既に事件から15年以上が過ぎているため、公訴時効が成立していることになる。
つまり、これは本事件が事実上、永遠の「未解決事件」となったことを意味する。
目撃者は、なぜ「人が乗った車が目の前で海に転落したのに通報せずに立ち去った」のか…。
心からの注意喚起
安易な気持ちで、というより、どのような事情があっても「廃墟」や「心霊スポット」に近づくというのは間違いなく「危険行為」である。
警察関係者や、治安維持に関する行政機関の関係者などであれば話は別であるが…それでも、危険な場所であることに何ら変わりはなく、事件だけでなく遭難や転落などの事故についての危険もつきまとう。
実際、廃墟や心霊スポットとされる場所での事件は多数起こっている。
2004年12月22日には、千葉県の廃ホテル「活魚」にて、少年5人が少女を拉致・暴行・殺害した「千葉県茂原市女子高生殺人事件」が発生している。
また、2006年4月21日には、岐阜県中津川市内のパチンコ店の廃墟で、男子高校生が女子中学生を殺害した「中津川女子中学生殺害事件(岐阜中2女子殺害事件)」が発生している。
さらに、最近のものでは、2017年4月6日に、愛知県豊山市豊場のラブホテル「サン」の跡地である廃墟で、刺殺された20~40代の男性の遺体が発見されており、こちらは現在も犯人が見つかっていない。
加えて、2020年4月15日には、宮崎県えびの市大河平(おこびら)にある「心霊スポット」として有名な廃ホテル「グリーンヒルズホテル」において、県外から「肝試し」に訪れた20代の男性2人が、腐敗の進んだ年齢不明・性別不明・身長170~180cmの遺体を発見している。こちらは、事件・事故の両面から捜査が行われているとのことである。
私たちは、廃墟や心霊スポットにまつわる事件が鳴らす「警鐘」に、耳を傾ける必要があるだろう。