冤罪と戦い続ける菅家さん。司法のありさまが問題視された未解決事件
足利事件とは1990年(平成2年)5月12日、栃木県足利市にあるパチンコ店の駐車場から松田真実ちゃん(当時4歳)が行方不明となった事件です。
翌日、近くの渡良瀬川の河川敷で真実ちゃんの遺体が発見されました。
1991年12月2日に菅家利和さんを被疑者として逮捕。1度は犯行を供述しますが、6回目の公判で犯行を否認し長期間に渡って争うこととなるのです。
2009年(平成21年)5月、再鑑定の結果、遺留物のDNA型が菅家さんのものと一致しなかったことが判明し無実の冤罪被害者であったことが判明。
その後、真犯人は見つかることがなく、公訴時効が完成した未解決事件となりました。
事件の経緯から誤認逮捕まで
真実ちゃんの父親が足利市内のパチンコ店にいる間に、同店駐車場から真実ちゃんが行方不明となり、翌日他殺体となって発見されました。当時の真実ちゃんの服装は赤いスカートと白いシャツだったといいます。
足利市では、この事件の前、2件の女児殺人事件が起きていたこともあって、栃木県警は180人態勢で捜査を進めました。
現場付近の公園では、赤いスカートを履く真実ちゃんと思われる女児を連れて歩く不審な男性の姿が多数目撃されていたのです。
その中で、幼稚園の送迎バスの運転手で、パチンコ店の常連でもあった菅家利和さん(当時43歳)を疑った警官は、菅家さんを1年間尾行しましたが怪しい点は見つかりませんでした。
しかし、1991年6月に菅家さんが捨てたゴミ袋から体液の付いたティッシュペーパーを発見。警察庁科学警察研究所は同年11月、菅家さんとDNAが一致したとして鑑定書をまとめたのです。
21日、わいせつ目的の誘拐殺人事件として菅家さんを逮捕しました。
冤罪までの流れとその後
菅家さんは警察や検察の取り調べに犯行を自白しましたが、後に虚偽を強要されたことによるものと判明。第一審の途中から否認に転じ、無罪を主張したのです。
当時のDNA型鑑定は導入されたばかりで、弁護側は信頼性に疑問があると主張。しかし、1993年(平成5年)7月7日に無期懲役の判決となります。
その後、東京高等裁判所が控訴を棄却。2000年最高裁が「DNA型鑑定の証拠能力を認める」とし、第一審の無期懲役判決が決定。菅家さんは千葉刑務所に服役するのです。
しかし、菅家さんと弁護団は再審請求を行います。東京高裁の審理でDNAの再鑑定が認められ、体液は菅家さんのDNAとは一致しなかったことが分かりました。そして、2009年6月23日、東京高裁は再審開始を決定したのです。
宇都宮地裁で始まった再審公判は、刑事公判当時の検察官2人が頭を下げる場面もあったといわれています。2010年3月26日に無罪判決が確定しました。
菅家利和さんは現在、冤罪を訴える支援のために全国を飛び回っています。冤罪として長期に渡り司法と戦い続けた菅家さん。このような活動をされていることを知る人はあまりいないかもしれません。
足利事件以降も、再審無罪が相次いでいる一方、再審開始までこぎ着けられる事件は稀なのだとか。そんな実情を世間は知るべきです。「司法制度をさらに変えなくてはならない」と主張し続ける菅家さんはこれからも苦しむ人たちのために活動し続けるでしょう。
そして、何よりも、真実ちゃんを殺害した真犯人が逮捕されることを願うばかりです。