校門に置かれた少年の首。意外過ぎた殺人犯の正体。
酒鬼薔薇聖斗事件とは1997年に兵庫県神戸市須磨区で発生した、児童連続殺傷事件のことです。犯人が自らを「酒鬼薔薇聖斗」と名乗ったことからその名前が事件名となりました。犯行の残虐性のみならず犯人が当時14歳の中学生であったことから、大きな話題を呼んだ事件でもあります。
酒鬼薔薇聖斗事件の概要
1997年5月27日、神戸市須磨区の中学校の正門に、男子児童の頭部が放置されているのを通行人が発見、警察に通報したことによって事件が発覚。 被害者は中学校の近くに住む11歳の男子児童で、口の中には「酒鬼薔薇聖斗」と名乗る犯人からの犯行声明文が挟まれていました。
1ヶ月後の6月28日、警察の捜査により犯人は逮捕されました。この時に逮捕されたのが遺体が置かれていた中学校に通う14歳の少年です。その後の取り調べによってもう1人児童を殺害していること、さらに3人の児童に対しても重軽傷を負わせていたことが判明しました。
酒鬼薔薇聖斗が犯したもう1つの殺人事件
犯人は男子児童を殺害する前に女子児童を1人殺害しています。男子児童を殺害する1ヶ月前に女の子に学校までの道案内をさせ、隠し持っていた金槌で殴るという凶行におよんでいました。凶行後、犯人はそのまま逃走。女子児童は通行人に発見され病院に運ばれたのですが、約1週間後に脳挫傷でなくなりました。酒鬼薔薇聖斗事件とこの事件を合わせて「神戸連続児童殺人事件」と呼ばれることもあります。
酒鬼薔薇聖斗事件をおこなった動機
快楽殺人の一環として犯人は犯行におよんだ認識されています。犯人はもともと猫などの小動物を多数殺害しており、そうしたことに対して興奮や快楽を感じるような性質がありました。はじめは小動物が対象だったものの次第に人に興味を持ち、今回の事件にいたったとみなされています。
また犯人の精神鑑定をおこなったところ、 パーソナリティ障害と見られる行動も見られており、そのことも犯行の動機に関わっているとされています。
酒鬼薔薇聖斗事件の判決とその後
1997年10月30月13日、神戸家庭裁判所にて少年を医療少年院である関東医療少年院に送致することが決定されました。その後、2001年に中等少年院である東北少年院にうつされ、4年後の2005年には成人となったため本退院となりました。 その後、2015年6月10日に犯人の手記をもとに「絶歌 神戸連続児童殺人事件」という本が出版されています。
酒鬼薔薇聖斗事件が与えた社会への影響
酒鬼薔薇聖斗事件によって、法律で保護された犯人のプライバシーと、法律で保護されない被害者のプライバシーがそれぞれ明るみになりました。
犯人は14歳の少年ということで少年法によって保護され、氏名や住所、裁判での様子などが終始非公開となり、被害者の遺族にすら犯人の情報はほとんど明かされませんでした。
これに対して被害者側は、保護する法律がなかったことからマスコミを通じて様々な情報が公開され、24時間マスコミから監視されてしまうなど多大な迷惑を受けることになりました。被害者側の保護に関しては現在も課題となっています。