末期医療の現場で起きた連続殺人。

大口(おおぐち)病院連続点滴中毒死事件とは、神奈川県横浜市神奈川区の大口病院(当時、現・横浜はじめ病院)で2016年(平成28年)9月に発覚し、2018年(平成30年)7月、同病院で当時勤務していた看護師が逮捕された連続殺人事件。事件の名称について、神奈川県警察は「大口病院”入院患者殺人事件”」、神奈川新聞は「大口病院”点滴連続殺人事件”」としている。
被害者として立件された死亡者2人のほか、同時期に死亡していた別の2人の入院患者の遺体からもヂアミトールが検出された。事件前の7〜9月の82日間で48人の患者が死亡し、その後の約70日間の間は死亡者がゼロということから、4人以上の被害人数が疑われたが、発覚以前の死亡者は医師の診断により“自然死”扱いで火葬されていたため、既に証拠は失われていた。
犯行動機は「(自分の)勤務時間外に死んでほしい」という極めて自己中心的で身勝手なものであり、また、完全責任能力も認められたにもかかわらず、判決は無期懲役となった。
事件概要
神奈川県横浜市神奈川区大口病院に勤務していた看護師・久保木愛弓(当時31歳)が、2016年(平成28年)9月15日から同月20日までの間、同病院で、入院していた高齢男女の点滴にヂアミトール(手術室、病室などに置かれている消毒液)を混入し、他の看護師にその点滴を投与させて3名を中毒死させて殺害した(投与した看護師はヂアミトールが混入されていることを知らなかったため罪には問われていない)。
また、久保木は前述3名以外の入院患者5人の点滴にもデアミトールを混入していたが、中毒死までには至っていない。(これにより)
事件の経緯
興津朝江さん(2016年9月16日)
2016年9月16日、神奈川県横浜市の大口病院で、入院中の興津朝江さん(78歳)が突然亡くなった。この病院は終末期患者を多く受け入れる医療機関であり、通常は患者の死は珍しくない。しかし、興津さんのケースは異なっていた。
興津さんは9月上旬に転倒し、右膝と右肘を負傷したため、整形外科で治療を受けていた。本来であれば通院で対応できるはずだったが、白血球数の上昇と傷口からの細菌感染の可能性を考慮して、9月13日から入院することになった。
入院後の13日と14日、興津さんは点滴治療を受け、回復の兆しを見せていた。さらに14日には、家の用事や愛猫の世話のために、病院の許可を得て短時間の帰宅も果たしていた。
このように、回復の途上にあるように見えた興津さんの急死は、一層の謎を感じさせるものだった。
しかし翌15日、興津さんは勝手に外出しようとして、看護師の久保木愛弓(当時29歳)に制止された。久保木は前年5月に別の病院から転職してきた看護師で、終末期患者が多い3病棟4階に勤務していた。
以前の病院で、久保木は急変した患者への対応に苦慮し、患者の家族から厳しい追及を受けた経験があった。2016年4月には大口病院でも、女性患者の急変後に遺族が医療スタッフを激しく非難する出来事があり、久保木はその場に立ち会っていた。
その際、遺族は特定の個人を指すわけではなかったものの、「看護師に殺された」という過激な言葉を口にし、訴訟を示唆する発言をしていた。この経験から、久保木は病的なほどに、「担当する患者に何かあれば、自分が責められる」という強い不安に苆られるようになった。
久保木は、「再び興津さんが無断外出して怪我でもすれば、自分の責任になる」と考え、9月18日の勤務日までに興津さんを死亡させる決意を固めた。彼女は、興津さんに投与予定の点滴袋に致死量の10倍以上のヂアミトール(消毒液)を混入させ、帰宅した。
その点滴袋は、久保木の計画通り、夜勤の看護師によって興津さんに投与された。興津さんは血管の痛みなどの不調を再三訴えていたが、容体が急変したのは16日午前11時頃のことだった。トイレで血尿を出して苦しんだため、泌尿器科の専門医のいる系列病院へ緊急搬送された。
搬送途中、興津さんは手足が青ざめ、意識を失っていた。処置室に到着後すぐに心臓マッサージなどの救命処置が行われたが、呼吸は停止。そのため大口病院に戻され、午後1時40分頃に死亡が確認された。
西川惣蔵さん(2016年9月18日)
9月18日、久保木の夜勤が始まった。午後3時頃の出勤後、終末期患者の西川惣蔵さん(88歳)を担当することになった。西川さんの容体は既にかなり悪化していた。
久保木は、「日勤の看護師が帰った後に患者が亡くなれば、家族への対応を自分がしなければならない」と考え、西川さんを死亡させることを決意した。
点滴に直接ヂアミトールを混入することで、より早く致命的な効果を狙った。その結果、西川さんは午後4時55分頃に心肺停止となり、家族への連絡は日勤の看護師が対応した。
同日、久保木は八巻信雄さん(88歳)ほか4人の点滴袋にもヂアミトールを混入させた。八巻さんは翌19日午前に点滴を投与され、久保木の勤務終了後に容体が急変して死亡した。
この八巻さんの死が事件発覚の転機となった。点滴を投与した同僚看護師が偶然にも点滴袋をベットに落とし、袋内の輸液が急に泡立ったことから点滴内への異物混入が疑われ、その後の検査でデアミトールの混入が明らかになった。病院は警察に通報し、さらなる調査が行われた。
調査により、2日前に同じ病室で死亡した西川さんの遺体からも同成分が検出された。興津さんの死も事件性が濃厚となった。整形外科患者であり、亡くなる前日まで元気だった興津さんの死は、特に不自然だった。
興津さんの遺体はすでに火葬されていたものの、幸いにも16日に予定より1日早く採取された血液検査から、ヂアミトールが検出された。こうして、興津さんの死も正式に「事件」と判断された。
疑われる病院内部の者による犯行
ナースステーションに残されていた未使用の点滴袋約50個を詳細に調査した結果、そのうち10個ほどのゴム栓部分に針で刺したような穴が発見された。さらに衝撃的なことに、事件発覚までの約3か月間に大口病院で亡くなった患者は48人に達していた。これらの死亡した患者の中に、他の被害者が存在する可能性もあったが、遺体はすでに火葬されており、捜査は事実上不可能だった。
神奈川県警は、「未知の者が点滴に異物を混入し、患者を意図的に殺害した」と明確に断定。特別捜査本部を立ち上げ、徹底的な捜査に乗り出した。点滴への異物混入という手口から、病院内部の関係者による犯行であることが強く示唆された。
犯行に使用されたヂアミトールは、病院業務上の理由で院内の各所に置かれており、犯人の特定は極めて困難と考えられた。県警は院内のあらゆる物を鑑定対象とし、綿密な調査を実施。最終的に、犯行の可能性がある看護師全員の看護服を徹底的に調べた結果、久保木の看護服のポケット付近からのみヂアミトールの成分が検出された。
さらに決定的な証拠として、事件発覚直後の夜勤中、久保木が「投与する予定のない製剤」を手に院内を歩き回る姿が、病院に設置された防犯カメラに明確に記録されていた。加えて、同僚の目撃証言によると、久保木が単独で被害者の病室に入った直後に、その患者の容体が急変し死亡するという不審な状況が複数回確認されていた。
久保木を逮捕へ

2018年6月29日、神奈川県警は状況証拠をもとに久保木の任意事情聴取を開始した。翌30日の2回目の聴取で、久保木は点滴へのヂアミトール注入を認め、供述を始めた。
「事件の2か月ほど前から点滴に消毒液を入れ始め、入院患者約20人に行った」という発言は、さらなる犯行の可能性を示唆するものだった。同僚の看護師も「最初は1日に1人死亡していたのが、徐々に3人、5人と増え、9月には8人にまで達した。4階は明らかにおかしいと話題になっていた」と証言した。
久保木は動機について詳細に説明した。患者が死亡した際の遺族への対応に常に不安を感じ、以前に経験した遺族からの厳しい非難が「怖い」という感情を植え付けていたという。そのため、自身の勤務時間外に患者が死亡するよう意図的に計画したと供述。さらに、「引き継ぎ時間帯に混入を行い、繰り返すうちに感覚が麻痺していった」とも話した。
7月7日、神奈川県警は久保木を殺人容疑で正式に逮捕した。
大口病院「女帝」によるパワハラ
捜査によって事件前、現場の病棟では深刻な嫌がらせ事件が多発していたことが明らかとなった。
- 看護師の筆箱に10本以上の注射針が刺され、針山のような状態になっていた
- 複数の看護師のエプロンが意図的に切り裂かれる
- 重要なカルテが不可解に紛失する
- 看護師のペットボトルに異物が混入されていた
これらの出来事が誰の仕業であるかは特定されていない。しかし、病院には『女帝』と呼ばれる60代の看護部長によるパワハラや、恣意的な人事査定、不公平な仕事の割り当てが蔓延していた。そのため、多くの看護師が不満を抱えていた。
久保木自身も逮捕前、「看護部長は看護師たちを恣意的にランク付けし、気に入った看護師とそうでない看護師の扱いに極端な差があった」と証言している。
この職場環境の悪さから、大口病院では複数の看護師が辞職しており、それが患者ケアの質の低下にもつながっていた。見舞い家族の前で看護師が患者を怒鳴りつける場面もあり、ある家族は「本当にひどい。ビデオに撮って告発すればよかった」と激怒したほどだった。
本事件の被害者遺族も、事後に振り返り、「女性看護師同士の激しい言い合いや、点滴袋が公共スペースに無造作に置かれているなど、今考えれば明らかに異常な状況があった」と指摘している。
久保木愛弓の生い立ち
久保木愛弓は1987年1月7日、福島県いわき市で生まれた。父親は工作機械会社に勤め、3つ歳下の弟がいる。
幼少期は茨城県水戸市で過ごし、小学校では大人しく目立たない子供だった。成績は中程度で、近所の子供たちと楽しく遊んでいた。父親の海外単身赴任時期は、母親が主に子育てを担った。
父親の転勤で神奈川県伊勢原市に移住後、中学校では友人関係に苦労し、学校以外はほぼ自宅で過ごすようになった。高校では成績は上位に入るも、相変わらず目立たない生徒だった。弓道部に入部するも途中で退部し、学校と自宅の往復が日常となった。
2005年、母親の勧めで看護専門学校に進学。不景気の時期だったため、「看護師免許は将来有利」という母親の助言に従った。父親は母娘の関係について「過干渉」と評している。
看護師免許取得後、2008年に総合病院に就職。2011年の障害者病床異動を機に、患者ケアへの不安と自責の念が強まり始めた。精神的不安定さから睡眠薬も処方されるようになった。
2014年に一時休職後、診療所に配属されるも2015年に退職。前勤務先で患者の容体急変時に家族から激しく非難された経験が、彼女の心理的トラウマとなった。
2015年5月、大口病院に転職。2016年4月、再び患者死亡時の家族の激しい非難に遭遇し、精神的に追い詰められていく。職場では不可解な嫌がらせも発生し、久保木は退職を考えるも母親に思いとどまらされた。
最終的に、終末期患者が多い病棟での勤務中、「家族から責められることへの恐怖」が極限に達し、2016年9月15日に最初の殺人に及んだ。
母親は事件後、「彼女の言うことを聞いて辞めさせていれば」と後悔の念を口にしている。
起訴前に行われた精神鑑定
起訴直前、横浜地検は久保木の刑事責任能力を判断するため精神鑑定を実施。結果として、「軽度の自閉スペクトラム症(ASD)がある」と診断されたものの、完全責任能力があると判断され起訴に至った。
精神鑑定のための入院中、久保木は衝撃的な出来事を引き起こした。夜間に他の入院患者の耳と鼻の穴に綿棒で洗剤を詰めた行為について、「折り紙の鶴がなくなり、自分のせいだと言われたため仕返しをしようと思った」と説明した。
2019年8月、昭和大学医学部・精神医学講座の岩波明教授による2回目の精神鑑定では、入院後3週間で徐々に奇異な行動が顕著になっていったことが報告された。
最初の異常行動は9月17日、雑誌を便器に詰め込み、部屋全体を水浸しにするというものだった。久保木自身は「排泄後に手を洗わず雑誌に触れたことが気になり、雑誌を破棄する際にスタッフの目から隠すために便器に流した」と説明した。
10月に入ると、幻聴や被害妄想が顕著となり、以下のような不可解な言動が観察された。
- 「死ね、ブタ、デブ」などの悪口が聞こえてくる
- 真夜中、外のドアをノックする音や「安眠妨害のためにやってるぞ」という声が聞こえる」
- 特定の看護師に狙われているという被害妄想
- 特殊部隊の到着を求める妄想的な発言
さらに、ドアの前にマットレスでバリケードを作り、「助けて。警察を呼んで」と繰り返し叫ぶ行動も見られた。後頭部を壁に打ち付ける自傷行為や、食事の完全拒否など、極めて深刻な精神症状が確認された。この時期、久保木は通常の会話さえ困難な状態だったという。
裁判と判決
2018年12月7日、横浜地検は久保木愛弓を患者3人の殺人罪と5人分の殺人予備罪で横浜地裁に起訴した。
2021年10月1日、裁判員裁判の初公判が開かれ、久保木被告は起訴内容を全面的に認めたため、主な争点は「責任能力の程度」に絞られた。
弁護側は「統合失調症により心神耗弱」を主張したのに対し、検察側は「慎重に計画された犯行は完全な責任能力の下で行われた」と反論した。
10月11日の被告人質問で、久保木被告は仕事のつらさを吐露。10月22日の論告求刑公判では、検察側が死刑を求め、弁護側は無期懲役を主張した。
最終陳述で久保木被告は深い反省と贖罪の意思を示し、遺族への謝罪を表明した。
11月9日の判決公判で、横浜地裁は無期懲役を言い渡した。裁判長は自閉スペクトラム症の特性を認めつつ、完全責任能力を認定。しかし、患者の家族から受けた心理的トラウマや、自ら死刑を望むなどの贖罪の意思を考慮し、死刑を回避した。

11月22日、検察・弁護の双方が判決を不服として東京高等裁判所に控訴。
2024年7月3日、東京高検は一審の無期懲役を支持した東京高裁判決に対して、上告を断念すると発表した。被告側も上告しない方針を明らかにし、これにより被告の無期懲役刑が確定となった。
これについて東京高検の伊藤栄二・次席検事は「適法な上告理由が見いだせなかった」とコメントした。