「一家全員がペットの犬と共に失踪」という不可解な事件…、失踪から1年後に遺体となって発見
山下さん一家は、岡山県との県境に近い山間の町・広島県世羅町に暮らしていた。
小学校教諭の長女・千枝さん(26)は竹原市内にアパートを借りて独り暮らしをしていたが、建設会社勤務の父・政弘さん(58)、採石会社勤務の母・順子さん(51)、祖母・三枝さん(79)の3人は共に暮らしていた。また、一家には他に愛犬の「レオ」がいた。
ちなみに、千枝さんは、20歳のときにはミス世羅の「’95フルーティーせら」にも選ばれた人物であった。
2001年(平成13年)6月4日。母親の順子さんは、その日、 勤めていた採石会社の社員旅行で、中国・大連に向けて出発することになっていた。
ところが、約束の正午になっても、集合場所だった勤務先に姿を見せなかった。
しびれを切らした同僚が、正午過ぎに山上家を訪れてみたところ、母屋に離れと蔵を備えた荘厳な雰囲気の旧家は、ものの見事にもぬけのからになっていた。
朝5時ごろに、新聞配達員が訪れたときには、正弘さんの車がなく、すでに家の中に人の気配もしなかったという。
一家の中で、最後まで消息が判明しているのは千枝さんだった。
千枝さんの勤務先は、世羅町から約30km離れた、瀬戸内海沿いにある同県竹原市の市立竹原小学校であった。
前日の3日は日曜参観日で、千枝さんは、担任をしている1年生のクラスで 図工の授業を行ったあと、午後3時ごろまで、PTAの球技大会に参加していた。
その後、竹原市内の飲食店で行われた、PTAの親睦会にも出席している。
彼女は、同市内のアパートで一人暮らしをしていて、4日は前日3日の振替休日だったが、その日のうちに千枝さん一家が失踪したという連絡が、警察から校長に入った。
翌5日から、千枝さんにとっての初めての無断欠勤が続いた(広島県教育委員会は同年12月20日、欠勤が6ヶ月以上続いているとして、千枝さんを分限免職とした)。
順子さんのバッグには、旅行代金15万円が入ったまま残されており、一家の定期貯金も手つかずのままであった。
順子さんと千枝さんの携帯電話と免許証、政弘さんのポケベルも置いたままであった。普段は畳んで置いてあったはずの、パジャマも見当たらなかった。
また、布団のシーツが乱れていなかったことから、就寝前にパジャマ姿で出かけたとみられた。
さらに、母屋の台所と廊下の電灯がついたままで、レンジで温めれば食べられるように朝食の準備もしてあった。
しかし、玄関の鍵はちゃんと締めてあり、家の内外で争った形跡もなく、血液反応も出ていない。
玄関からは、4人分のサンダルがなくなっていた。
つまり、一家はパジャマ姿のまま、サンダル履きでの失踪ということになる。しかも、犬まで連れてである。
そこまで追い詰められていたとすれば、考えられるのは金銭的トラブルなどによる「夜逃げ」の可能性であったが、 政弘さんには約2000万ほどの預金があり、借金もなかったことから金銭絡みのトラブルは考えられなかった。
自宅登記を確認するも、金銭貸借は無かったという。
失踪から1年後…
失踪から1年程が経過した、2002年9月7日。世羅町にある「京丸ダム」の湖底で、通行人が車が裏返しで湖底に落ちているのを発見した。
車のナンバーから政弘さん所有の車と判明し、車内から4人と愛犬の遺体が見つかった。
雨不足によって水位が減少したことが車の発見に繋がった。
甲山署は、遺体に目立った外傷がないこと、車のキーがささったままであったこと、転落したと思われる場所の入り口には車止めがあり誤って進入する場所ではないことや、関係者への事情聴取等から、無理心中と判断した。
しかし、動機は明らかにされておらず、そのため「神隠し事件」だという声もあるほど、謎の多い事件である。
事件の不審な点
主たる不審な点は、いかに挙げる通りである。
- 玄関の鍵は締まっており、ただし勝手口の鍵は開いていた。
- 侵入や争った形跡、血液反応もない。
- 順子さんのバッグには、旅行代金15万円が入ったままであり、一家の定期貯金も手つかずのままであった。
- 山上さんの車がなくなっていたが、順子さんと千枝さんの携帯電話と免許証、政弘さんのポケベルも置いたままでだった。
- 順子さんが行くはずの旅行に持っていくであろう鞄が準備されていた。
- パジャマが見当たらなかったことから、サンダル履きのパジャマ姿でほとんど何も持たず家を出たと推測される。
- 母屋の台所と廊下の電灯がついたままで、翌朝の朝食が虫除けネットをかけた状態で準備してあった。