「九州一のワル」家族に保険金を掛け殺害するも、受け取れないまま逮捕
1974年11月、大分県別府市のフェリー岸壁で、親子4人が乗った車が海に転落した。
保険金目的で母娘3人を殺害したとして、唯一生存した父・荒木虎美が逮捕・起訴された。
荒木は一貫して無実を主張したものの、死刑が言い渡され、上告したが1989年1月、病死のため棄却された。
犯行の経緯や動機
1949年、荒木虎美は内縁関係の女性を医師に頼み堕胎させ、その医師を医師法違反などで恐喝し服役。
翌年、精肉店を経営するも上手くいかず、保険金をかけて放火、保険金詐欺で6年間の服役。
1967年7月、友人と共同経営で不動産業を営んだが、友人の妻との不倫トラブルに関して婦女暴行、傷害、脅迫事件で懲役3年6カ月を受け服役。
1973年1月、恐喝未遂事件を起こし、懲役6カ月の判決を受けて上告、保釈される。
度々の服役から「九州一のワル」と呼ばれていた。
1974年11月17日、大分県別府市の国際観光港第三埠頭で、釣り人らが見ている中、時速40kmほどで走行中の車がノーブレーキで海に転落。
荒木(47歳)は救助されたが、妻(41歳)と長女(12歳)、次女(10歳)は溺死した。
死亡した3人には、計3億1000万円の保険契約が結ばれていたことから、保険金殺人の疑惑が浮上。
死亡した3人の他に長男(15歳)にも保険がかけられていたが、荒木自身には保険が掛けられておらず、妻とは3か月前に結婚したばかりで、長女・次女・長男の3人は荒木と血縁関係がなかった。
荒木がドライブを提案し、断ろうとした長女を怒ったことが判明している。
長男は受験勉強を理由に断ったため難を逃れた。
荒木は自分と妻で交互に運転していたが、妻が運転中、自分が目を瞑っていた際に、運転していた妻の悲鳴で目を覚ました時には既に自分は海中にいて、割れたフロントガラスから抜け出したと主張。
妻の運転による事故として保険金を請求したが、保険会社は警察の交通事故証明がなければ支払えないと拒否。
警察は事故が作為的かどうか結論が出ていないと交通事故証明交付を拒否した。
そして、実際には彼自身が運転していたとの疑惑が浮上。
12月11日、荒木はフジテレビのワイドショーに生出演。身の潔白を主張するも、ゲストの発言に虎美は激怒、席を蹴って退場した。
番組生放送終了後にテレビ局の裏手で荒木は殺人罪容疑で逮捕された。
判決とその後
1980年3月、荒木に死刑判決、控訴するが棄却される。
1987年、上告中に荒木は癌により倒れ、医療刑務所に移送される。
上告中の1989年、被告人は癌性腹膜炎で死亡、公訴棄却となる。