川で客室乗務員の水死体、時効成立により未解決事件へ
1959年に東京都杉並区の善福寺川で英国海外航空BOACの日本人女性客室乗務員である武川知子さん(27歳)の遺体が発見された。
犯人特定には至らず1974年に公訴時効が成立して未解決事件となった。
犯行の経緯や動機
被害者の武川さんはロンドンのBOAC本社で研修を受けて遺体発見の前月である2月27日に帰国していた。3月13日には同社航空機に初搭乗する予定であった。
1959年3月10日の午前7時40分頃、東京都杉並区の善福寺川の下流中央付近で武川さんが仰向けで水死体となり浮かんでいるところを通りがかりの会社員が発見した。遺体に外傷はなく、服装に乱れはなかった。
警察の検視の結果、溺死であり自殺と判断されたものの他殺の疑いが浮上したことから、翌11日に慶応大学附属病院で司法解剖が実施されて他者により扼殺されたことが判明した。さらに武川さんの遺体から血液型の違う2種類の男性の体液が検出された。
遺体発見の2日前である3月8日午後3時頃、武川さんは東京都世田谷区松原の寄宿先で、駒込にいる叔父の誕生祝いに招待されていると話して外出。しかしその予定はなく、武川さんはそのまま行方不明となっていた。
武川さんの交友関係から杉並区八成町のドンボスコ社で副社長兼会計をしているベルギー人のカトリック宣教師、ベルメルシュ・ルイズ神父(38歳)が捜査線上に浮上した。参考人が外国人かつ神父であることから秘密裏に捜査が行われたものの、4月12日に放送されたテレビ番組で横浜出入国管理事務所の映像からルイズ神父の顔写真と名前が知れ渡ることとなった。
5月11日から22日にかけて弁護人とバチカン大使館一等書記官立会いの元、ルイズ神父の事情聴取が行われたが進展はなかった。聴取の間に尿からDNAを採取する予定であったがルイズ神父は出された飲み物には手をつけず、一度もトイレに行くことはなかった。
6月11日、ルイズ神父は病気療養のためベルギーへ帰国。管理局から警察へ連絡があり出国手続きが行われていることを把握していたが、出国を停止する為の証拠がないためルイズ神父の出国は許可された。
疑わしき状況にある中での帰国であったが、これを許諾した理由については、カトリック教団の神父であったルイズ氏の証拠なき拘束によって、バチカン市国からの国際非難を回避したのではないかとの見方が強く、神父を犯人とすることによってバチカン市国を含む国際問題に発展することを懸念し、強気な捜査に出られなかったのではないかと考えられている。
また、ルイズ氏の所属していたカトリック教団サレジオ会は、世界各国に教会、修道会、学校、記念事業団体をもつカトリックの一派で、イタリアのトリノに本部があり、日本での布教活動の拠点を拡大するため、イタリア本部から資金、海外援助物資、寄付などが送られ、これらを基金として布教のための図書の出版、販売を主な事業として活動を続けていた。
サレジオ会に対しては、1951年(昭和26年)にはララ物資(アジア救済連盟、1948年にアメリカで設立)やサレジオ会本部から救援物資名義で運ばれてきた各種の統制物資を横流ししたとされる事件「闇砂糖事件」の他、翌1952年(昭和27年)には、日本に運んできた闇ドルをレート360円を無視して400円程度で日本円に換金し、巨利を得ていたとされる事件「闇ドル事件」の容疑などがあった。
ルイズ氏は、サルジオ会の運営するドン・ボスコ社の会計主任であったため、本事件には「サレジオ会が不正に闇取引で資金を作り、麻薬の運び屋に仕立てようと神父の愛人をスチュワーデスにしたが、不承知の意を表したため殺害したのではないか」とする意見もある。
判決とその後
1974年3月10日、当事件は解決に至らないまま公訴時効となった。