「友人に食事に誘われている」自称イタリア人との約束をほのめかし、その後、失踪した未解決事件。
1999年5月3日午前8時50分ごろ、茨城県つくば市高田の山林中で、筑波大基礎工学類1年の川俣智美さん(当時19歳)があお向けになって死んでいるのを近くに住む男性が発見した。首には絞められたような跡があった。
4月10日午後5時25分ごろ、同級生の女子学生が電話でコンパに誘ったところ、「友人に食事に誘われているので行けない」と断ったという。この電話の直前に、入寮した学生宿舎近くの掲示板の前で、白人男性と一緒に話をしているのが目撃されていた。これを最後に行方が分からなくなっていた。
警察では事件以降、筑波大学の入学式当日に事件に関するチラシを新入生に配布したり、捜査本部への直通電話を設置し情報提供を呼びかけてきたが、情報がほとんど寄せられず事件は未解決のままである。
事件の経緯と詳細
1999年5月3日午前8時50分ごろ、茨城県つくば市高田の山林中で、筑波大基礎工学類1年の川俣智美さん(当時19歳)があお向けになって死んでいるのを近くに住む男性が発見した。首には絞められたような跡があった。
司法解剖の結果、死因は窒息死とわかった。死後2週間以上たっていると見られ、頭部の一部が白骨化していた。川俣さんは靴下に下着姿で、首にキャミソールが巻きつけられていた。現場では靴や服などが見つかっていない。現場は、土浦学園線とエキスポ通りが交差する地点から1キロほど離れたシナ竹林で、人気は少ない。
川俣さんは神奈川県藤沢市出身で1998年に県立高校を卒業し、1999年に筑波大に入学。まじめな性格だったという。入学式前日の4月6日に学校内にある学生宿舎に入寮した。入寮した夜には先輩が開いたコンパに顔を出し、楽しそうにほかの寮生らと話していたという。
4月10日午後5時25分ごろ、同級生の女子学生が電話でコンパに誘ったところ、「友人に食事に誘われているので行けない」と断ったという。この電話の直前に、入寮した学生宿舎近くの掲示板の前で、白人男性と一緒に話をしているのが目撃されていた。これを最後に行方が分からなくなった。
この白人男性とは川俣さんが入寮した4月6日から9日にかけても、宿舎周辺で一緒にいるところを複数の学生に目撃されている。白人男性は自称イタリア人で身長約1メートル90のすらっとした体形。20代後半と見られ、髪は短めの濃い茶色という。胸の部分に水色の横線が1本入った薄い灰色の長そでシャツに、ジーンズという格好をしていた。白人男性は事件後行方がわからなくなっている。
その後
宿舎には約1400人の学生が暮らしており、この内300人が外国人。警察では最後まで川俣さんと接触していた「自称イタリア人」が事情を知るものとして捜したが、大学に1人いたイタリア人留学生を調べたが無関係なことが判明した。このほか、つくば市内や周辺の大学を調べたがイタリア人留学生はいなかった。また同市内には外国人登録したイタリア人男性9人がいたが、警察での捜査の結果事件とは無関係と判明している。同市周辺には、登録している外国人だけでなく、不法滞在や短期滞在の外国人も多い。
事件発生時は連休で入寮者の学生の数も半分ほどに減っていた。智美さんの寮の部屋も調べられたが、荒らされた形跡はなく、ドアには鍵も掛かっていた。警察では事件以降、筑波大学の入学式当日に事件に関するチラシを新入生に配布したり、捜査本部への直通電話を設置し情報提供を呼びかけてきたが、情報がほとんど寄せられず事件は未解決のままである。
2000年5月2日までに、捜査本部は延べ1万6千人の捜査員を動員し、目撃された男性の似顔絵入りのチラシなど約6000枚を配布して情報を集めたが、いずれも事件解決には結びつかなかった。
捜査の長期化について捜査本部は「川俣さんはつくば市に来て日が浅かったため、知り合いが少なかったうえ、一緒にいた相手が外国人とみられることも、捜査が難航している理由の一つ」と話した。
一方、筑波大は事件再発防止のため、事件後に校内の街灯を14基増設し、20基を改修した。また、学生宿舎近くの樹木の枝を払い、見通しをよくするための措置をとった。