事件・事故

多摩市貝鳥一丁目マンホール内失踪女性殺人事件

マンホールから死体発見。計画的な犯行による未解決事件

1997年1月14日午前8時30分、「東京都多摩市貝鳥一丁目のマンホールから、汚水があふれている」という電話が、多摩市役所にかかってきた。

午前10時半頃、連絡を受けた下水道工事業車が現場に到着し確認を行った。マンホールには雨水用と汚水用があり、水があふれていたのは汚水用の方だった。

遺棄されたマンホール

汚水用マンホールの匂いがきついのは当たり前だが、作業員がマンホールの蓋を開けると、凄まじい異臭が立ち上ってきた。作業員がマンホールを覗き込んでみると、マネキンの様なものが汚水に浸かっていたため、業者は警察に連絡した。

駆けつけた多摩中央署の捜査員が確認すると、それはマネキンではなく女性の遺体だった。

深さ3mのマンホールの底に腰掛ける様な形で遺体が置かれていた。

年齢は20代から40代で髪は短くワンピースにセーターをきていた。かなり腐乱が激しく、発見された遺体の頭部や鼻などの骨が折れていた。

マンホールは底に25cmの溝があり水が流れる様になっているが、遺体の一部が剥げ落ちて溝を塞いでしまったために汚水が溢れ出してしまった。

遺体は歯の治療痕から近くに住んでいた女性Aさん(当時39歳)と判明した。Aさんは前年の2月から行方不明になっており捜索願が出されていた。

司法解剖の結果、死因は特定されなかった。

警視庁では、行方不明になってから間もない時期に殺害された可能性が高いとみて、捜査本部を設置し目撃情報や交友関係を中心に捜査を進めた。しかし、現在も未解決のままとなっている。

事件の経緯と詳細

Aさんが遺体で発見されたマンホールは多摩市の京王永山線から歩いて15分ほどの新興住宅地で、Aさんが住んでいたマンションからも200mくらいしか離れていなかった。

発見現場は、南北に走る鎌倉街道の西側、小田急多摩線及び京王相模原線高架の南側に位置しており、スーパーマーケット「オリンピック多摩貝取店」(現在は閉店)の駐車場前の道路に埋設されているマンホール内で昼間は比較的人通りも多い場所だった。(東京都多摩市貝取1丁目65番地、警視庁HPより)

発生場所周辺

しかし、脇道なので夜間は真っ暗で、人もほとんど通らない場所だった。Aさんの行方は遺体が発見される前年の1996年2月27日以降全くわかっていない。

午後6時50分に浜市内のスーパーに立ち寄って買い物をしている。自宅の冷蔵庫には、その時買ったと思われるイチゴや納豆などの食糧が手付かずのまま残されていた。

2月27日午後9時頃、新聞集金の人が最後に彼女を目撃している。その後に誰かに呼び出されたのか、外出した可能性が高いとされる。

遺体で発見された時の服装などが同僚と別れた時の服装とは違っていた。

翌日2月28日、Aさんは保育園を無断欠勤しており、自宅にも連絡がつかず不審に思った同僚達がすぐに青森市に住む父親に電話したが、全く心当たりがなかったため、翌日に父親が上京し警察に捜索願が出された。

しかし、家出の可能性が高かったため具体的な捜査が行われることはなかった。

その後、父親は、Aさんのマンションに2ヶ月ほど滞在して娘の行方を追った。父親が捜索し始めてから、1996年4月6日までに無言電話が計6回あったそうだ。

部屋には争った様な形跡はなく、物色された様子もみられなかった。しかし、同時にいくつかの肝心な物が見当たらなくなっていたことも判明している。Aさんがいつも持ち歩いていた巾着が、どこにも見当たらなかった。

Aさんは、その中に財布や預金通帳など大切なものを入れていたとされる。預金通帳には750万円ほど預金されていたが、引出された形跡はなかった。

Aさんについて

Aさんは青森県出身で、地元の短期大学保育科を卒業して、最初は多摩市内の保育園に就職していた。

当時は、保育士が不足していて、保育園の教会が全国の短大や専門学校に志願者を募っていた。最初の1年間は保育園の規定で、保育園の3階にある寮に入って生活していた。

その後、Aさんは調布にアパートを借りていたが、保育園への通勤が不便だったことから、京王線の京王永山駅近くのマンションに移った。

1991年3月には、14年間勤務していた多摩市の保育園を、結婚を理由に辞めたが、結婚はせずに翌年の4月からは都内北区の保育園に勤め始めた。京王永山駅から北区に通うには、片道だけでも1時間以上かかるが、新たに引越しをするということはなかった。

Aさんの仕事ぶりは、いたって真面目だったとされている。無遅刻無欠席で園児達にも慕われていたという。

行方不明になった年の前年には、初めて年長組を担当し、半月後には卒園式が控えており、自宅には友人から借りた袴が残されていた。

また、青森の両親が病気の時は帰省してつきっきりで看病し、実家に仕送りをするなど親思いの一面もあった。
一方で、どこか派手な印象もあり、子供の前でもタバコを吸っているのを見かけたという人もいる。また、内向的で自分のことをあまり口にせず、はっきりしない女性だったという話もある。

Aさんは結婚願望が強く、かなり悩んでいたとされる。実家の青森や地元の友人の紹介などで度々縁談の話があったがうまくいかなかったという。

さらに、保育園という仕事も日々新しくなり、それに追いついていくのも大変だった様で、一時はストレスで顔面神経痛になったことがあったという。

付き合っていた男性も1人だけではなかった。Aさんと付き合いがあったとわかっている男性だけでも、市役所に勤める公務員、同僚保母の夫、都内に住む自営業者の名前が上がっている。さらに、北区の保育園の保父と親密だったという情報もある。

そして、1990年度と1991年度の日記帳がなくなっていた。

Aさんはこまめな性格で、当時付き合っていた相手などAさんと関わりのあった人物の名前が丁寧に書き記されていた。このことから、無くなった日記帳から犯人の特定に繋がるような内容が含まれていたため、犯人が持ち去ったのではないかと考えられる。

部屋には争った形跡がないことから、金品目的の強盗犯の可能性は低いのではないかと考えられる。無くなった巾着は、Aさんが持ったまま出かけた可能性が考えられる。

捜査状況

マンションとマンホールの距離が200mと近いことから、犯人はマンホール付近に呼び出して殺害し、素早くマンホールに入れるという極めて計画的な犯行だったとされる。

また、Aさんは結婚願望が強く何人かの男性と付き合っていたことから、金銭目的ではなく痴情のもつれではないかとされた。

最も疑われたのは、市役所に勤める男性で、マンホールの蓋の重さは約40kg、直径が約60cmなこともあり、本来ならば専用の工具を使って開閉する必要があるが、その男性は職業的に、それらの工具の入手が可能だった。

また、男性の自宅がマンホールに近かったことも挙げられたが、それらの状況証拠のみでは逮捕まで至らなかった。

しかし後の捜査で、マンホールは専用の工具がなくとも開閉できることが判明し、現在も犯人は捕まっていない。

警視庁では、1996年(平成8年)2月下旬の夜、現場のマンホール前で工事用のバリケードを出し、ワゴン車を停車している男性が目撃されていることから、この男性が何らかの事情を知っている可能性があるとして、この男性についての情報や同じ状況の目撃情報を求めている。

ちなみに本事件から、福島女性教員宅便槽内怪死事件を想起してしまうのは私だけではないだろう。

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