「姉と喧嘩してムシャクシャした」犯行を自供するもその後一転して否認。法律的にも注目された事件
1981年6月14日午後1時ごろ、千葉県柏市にある柏第三小学校の校庭西側「マラソンコース」で、同校6年の波多野みどりちゃん(11歳)の刺殺体が発見された。まもなく市内に住む中学3年・A(当時14歳)が犯行を自供。
しかし翌年5月、少年院に入っていたAは突然犯行の否認を始める。
事件の経緯と動機
1981年6月14日午後1時ごろ、千葉県柏市若葉町にある市立柏第三小学校の校庭西側「マラソンコース」で、同校6年の波多野みどりちゃん(11歳)の刺殺体が発見された。
みどりちゃんは右腕と右胸を刺されており、右手首には刃渡り10cmの果物ナイフが刺さったままとなっていた。
この日は日曜日で、みどりちゃんは朝から日本パブテスト柏教会の日曜学校に行っており、昼食をとるため一旦帰宅し、小学校の向う側に住む友達と教会の行事に行く予定だったため、12時55分頃に家を出た。
学校を訪れたのは、飼育係をしていたので小鳥をエサをやりに行っていたものと見られる。
遺留品のナイフは柏市内のスーパーなど10数店で10年ほど前から1本500円程度で千本前後売られており、柄にはニスが塗ってあり指紋は検出されなかった。
捜査本部は連日捜査員110人を動員、目撃証言などから、「リーゼント風の高校生2人」を有力容疑者とみて、似顔絵に基づき聞き込み捜査をしていたが難航していた。
27日になって、事件の1週間前に市内のスーパーで遺留品と同じ型のナイフを購入していたことや、「事件現場近くで見かけた」という証言から、市内の中学3年生・A(当時14歳)に任意出頭を求め、立ち合い人なしで事情聴取をしたところ、犯行を自供。新聞の報道などによると、その動機について「姉と喧嘩してムシャクシャした」と供述していた。凶器のナイフのサヤだけは自宅に持ちかえり、ゴミ箱に捨てていた。しかしそのゴミは2、3日後に母親が収集車に出していた。
その翌日、家宅捜索が行なわれたが、返り血を浴びた衣類は出てこなかった。またAが右手にしていた包帯はルミノール検査の結果、何の反応も出なかった。当日に着ていた黒のトレーニングウエアについても同様である。
しかし7月6日、Aは殺人容疑で逮捕された。
自供によると、Aはみどりちゃんを刺した直後、東門から逃げ、あるスーパーで漫画の立ち読みした。その後自転車で自宅に戻る途中、以前ナイフを買った市内のスーパー「サンセット」にも寄った。これは午後4時頃のことである。Aはこのスーパーで同級生の男女と会っている。同級生によると、Aは漫画本を立ち読みしており、後ろから目隠しすると、ゆっくり振向いて「なんだよぉ」と笑っており、普段と変わらない様子だったという。その後、同級生は立ち去り、Aは漫画を最後まで読み終えると自宅に戻ったのだという。
8月10日、千葉家裁松戸支部は「凶器と同一のナイフが発見されたということは、その他の事由をあわせて考慮しても、非行事実の認定に合理的疑いを生ぜしめるものではない」としてAの少年院送致を決定、A側も抗告せずこの処分が確定した。
少年の否認
1982年5月、相模原市の医療少年院に入っていたAは突然犯行の否認を始める。
Aが否認を始めたのは、自宅が被害者遺族からの損害賠償請求の民事訴訟によって、売り払われる直前となっていた頃だった。母親は面会に出向き、「本当のことを聞かせておくれ」と尋ねると、立ち合いの係官はAを連れて行こうとしたが、Aは立ち上がりざまに「やってないよ」と言ったという。
Aの無実の訴えの通り、弁護士が自宅を調べると、押し入れの布団包みから、少年が買っていた凶器と同型の果物ナイフを見つけた。もちろん、弁護士が仕込んだ物ではなく、Aの指紋がしっかり付着していた。こうして弁護人は保護処分取り消しの請求を申し立てた。無罪根拠として、次の点が挙げられた。
- 返り血を浴びていない。
- 凶器とされたナイフが自宅で発見されている。
- アリバイがある。
そもそも、事件直後の目撃証言から浮上していたのは「リーゼントヘアの高校生2人組」であり、「トレーニングウエアを着た中学生」ではなかった。さらに捜査員が持ち歩いていた似顔絵に描かれていたのは、中学生でも高校生でもない、20歳前後のパーマをかけ、赤いジャンパーを着た男だった。
この事件は法律的にも注目された。それまで少年事件では閉ざされていた再審への道が初めて開けるかと見られたからである。
ところが1983年1月20日、裁判所は申し立てを棄却。弁護側はこれを不服として東京高裁に抗告するが、「抗告は不適法」として棄却。さらに最高裁へ再抗告した結果、9月2日に再抗告を認め、東京高裁に破棄差し戻した。
1984年1月20日、高裁は「自白は信用できる」として抗告を棄却、4月23日最高裁でもこれを支持して再抗告を棄却した。
その後、Aは少年院を退院。1985年7月17日までに保護処分は取り消された。
8月22日、千葉家裁は「少年はすでに保護処分を取り消されている」として、再審の訴えを取り消している。その後、最高裁まで争われたが、86年1月11日に下級審を支持した。