事件・事故

世田谷一家殺害事件(上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件)

20世紀最も有名な未解決殺人事件。気がかりな犯人像とは。

世田谷一家殺人事件は、2000年(平成12年)に東京都世田谷区で発生した殺人事件。

2000年12月31日、世田谷区上祖師谷の会社員・宮沢みきおさん(44歳)宅で、この家の一家4人が殺害されているのを妻・泰子さんの母親が発見した。

事件発生から約20年が経ちますが、未だ犯人の特定・逮捕には至っておらず、謎の多い未解決事件として知られています。正式名称は上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件です。

事件の経緯と詳細

宮沢さん一家について

宮沢みきおさん(44歳)、泰子さん(41歳)、にいなちゃん(8歳)、礼君(6歳)の4人暮らし。宮沢さんは外資系の経営コンサルタント会社社員で、泰子さんは自宅で「公文式」の学習塾を経営していた。

家は小田急線「成城学園前駅」と京王線「千歳烏山駅」のちょうど中間ほどの上祖師谷3丁目。2棟続きとなっており、隣りには泰子さんの母親と姉夫婦が住んでいた。

宮沢さん一家がここに越して来たのは1990年6月。当時はこの住宅地に30軒ほどの家が並んでいたが、公園用地拡張事業による整備が進んだため、他の住民は次々と引っ越していった。すでに土地売買契約を済ませていた宮沢さん一家も2001年4月までに埼玉県内に引っ越す予定だった。

屋敷の右手には仙川流れており、左側には運動広場が並んでいる。児童公園もあり、すでにいくつもの住宅が取り壊されていた一帯は夜になるとひっそりとした環境だった。

異常な犯行

2000年12月31日午前10時50分ごろ、隣に住む泰子さんの母親が一家に内線電話をかけても応答がなかったため、不審に思い訪ねたところ無惨な4人の遺体を発見した。

犯人は2000年12月30日夜、宮沢さん宅のフェンスをのぼり、浴室の高窓から侵入したとされる。網戸がすぐ下に落ちていたことや、足跡、フェンス近くの木の枝が折れていたから判った。

なんなく侵入した犯人はまず浴室のすぐ隣りの子ども部屋に寝ていた礼君に布団をかぶせて窒息死させた。続いて、1階の書斎で仕事をしていた宮沢さんが物音に気づき、階段あたりで、犯人と鉢合わせしたと見られる。宮沢さんは階段下で亡くなっていた。最後に犯人は3階のロフトで寝ていた泰子さんとにいなちゃんを襲ったとみられる。階段の踊り場付近で倒れていた泰子さんはメッタ刺しの状態だった。

犯人は抵抗する宮沢さんや泰子さんともみ合いになる中で手に傷を負い、あちらこちらで血痕を残していた。宮沢さん一家にA型はいないので、犯人はA型と見られている。犯人は自前のハンカチで止血していた。このハンカチはアイロンがかけられていたという。かなり深い傷を負ったとみられる。

血のついた包丁2本は2階の台所で見つかった。このうち1本は犯人が持ちこんだもので、刃先が欠けたため宮沢さん宅の包丁も取り出したのだろう。

また犯人はタンスやクローゼットを荒らしまわり、必死に何かを探している。月末で集まっていただろう学習塾の月謝20万相当が紛失していたが、キャッシュカード、貴金属類はなぜか手付かずだった。

浴槽には切り刻まれた書類(宮沢さんの仕事や学習塾のもの)が入れられていた。書類を一枚一枚目を通して、選別していたように見られる。浴槽には財布(現金抜き)やバッグも投げ込まれ、犯人が止血に使ったとされるタオルもあった。

そして2階居間のソファにも手帳、運転免許証、カード類が並べられていた。これは口座の暗証番号にもなる生年月日を調べていた可能性が高い。

犯人は1階書斎の宮沢さんのパソコンでインターネットにつないでいる。接続したのは2回で最初に午前1時18分、2度目は同10時2分と泰子さんの母親が内線電話をかける直前まで、約11時間もこの家にいたことがわかる。履歴から、犯人は宮沢さんの会社のサイトや「劇団四季」のページを見ており、メールチェックもしている。「劇団四季」のサイトは宮沢さんが元々「お気に入り」に登録していたものだったが、犯人はそこから舞台のチケットを購入しようとしていたこともわかっている。

犯人はパソコンしながら冷蔵庫から取り出したアイス食べていたとみられ、カップが脇に残されていた。スプーンを使わず、カップを握りつぶすようにして食べていた。想像してみると、異常な光景である。インターネットに飽きたら、コンセントを抜いて消し去っている。

多くの遺留品から想定される犯人像

犯人の遺留品は多く残されている。

まず「ユニクロ」のナイロン製の黒いジャンパー、マフラー。ジャンパーのポケットの中からはケヤキの葉と小鳥の糞が検出された。

玄関には返り血を浴びて脱ぎ捨てたのであろう犯人のロングTシャツ(Lサイズ)が、なぜか綺麗に折りたたまれていた形で残されていた。これは俳優・木村拓哉氏がCX系「ビューティフルライフ」で着用して人気となったタイプのもの。廊下には手袋とヒップバッグも残されてあった。

そして宮沢さんのグレーのスウェットを着がえて逃走している。スウェットはスポーツ用品メーカー「デサント」製のもので、胸と背中の部分に数種類の魚介類で「DIVE」とデザインされたものだ。ただこれはもう処分されている可能性が高いので参考にはならないかもしれない。

指紋はいくつも発見されたが、過去に犯罪歴のあるものとは一致しなかった。

足跡から韓国製「スラセンジャー」というスニーカー(28cm)ということが判った。この靴は都内でも練馬区のディスカウントショップで売られていたが、28cmのサイズは日本では売られておらず、韓国内のみで流通していたとされる。

ヒップバッグからは土砂鉱物約1600個の微物を検出されたている。これは日本には存在しないとされている花こう岩に含まれるモナザイト。このほか、チタン酸バリウムの反射材、金属シリコン、ニッケル、銅などがバッグ内側の底部分に混在していた。

若者という線が強い。それも母親か女性と同居している男性である。これはハンカチにアイロンがかけられていたためである。それから身につけていたものも若者の服としては比較的安価なものが多く、洗濯の繰り返しで色あせていた物も多かった

なお、ハンカチについていた香水はフランス製「ドラッカーノアール」。

目撃情報と不審な点

その残虐な手口から当初、怨恨殺人ということで捜査は開始された。

2004年11月、警視庁では有力な目撃情報から「包丁の男」と「11時半の男」2人の男のイラストを公開している。

▽包丁の男
犯行に使われた柳刃包丁は「関孫六 銀寿」というもので、都内では武蔵野市練馬区、杉並区で00年に10本ほど売られていた。事件前日の12月29日、吉祥寺で犯行に使われた包丁を1本だけ買った男がいた。この男は年齢30代と見られ、身長約170cm、黒いジャンパーを着ていた。

▽11時半の男
事件当日の11:30、車を運転していた主婦が宮沢さん宅の前の路地に飛び出して小走りに道路を横断したきた男を目撃(。特徴は身長175cm~180cmくらい、痩せ型、長髪で毛糸の帽子をかぶり黒っぽい服装をしていたという。

それ以外にも情報は多数届いた。

▽アオキという男
2000年8月15日、「アオキ」と名乗る男が、電話で埼玉県内の興信所に「宮沢さん宅とその家族」についての調査依頼をした。しかし、「アオキノブオ」からの銀行振込みはなく、調査は開始されず。
同10月26日、「アオキ」が興信所へ2度目の電話。宮沢さんの現住所および住民票を請求した。翌日、「アオキ」は事務所に現れ、住民票と謝金を交換している。
同10月28日、「アオキ」が電話で、宮沢さんの戸籍謄本を依頼。しかし、その後連絡はなかった。

▽11時半の大きな物音
11時30分頃、近所の人が「ドスン」という大きな物音を聞く。泰子さんが屋根裏部屋から落下した音だと思われ、11時半こそが殺害時刻だったと見られる。

▽日光の負傷男
栃木県日光市の東武日光駅、31日午後5時20分着の電車から降りた男が右手から出血しており、治療を受けた。男の年齢は30歳前後、身長約175cm、黒いダウンジャケットにジーンズ姿。その後の足取りはわかっていない。

▽主婦の見た男
事件の前日午後3時ごろ、現場近くの路上で、主婦が遺留品のものと似たデザインのTシャツを着た男とすれちがった。12月にしては薄着だったので覚えていたという。この男もまたヒップバッグと、「スラセンジャー」によく似たタグ付きのシューズをはいていた。この情報が発表されたのは06年11月。

▽近隣の若者説
児童公園で夜中までスケボーに興じている若者にみきおさんが注意しに行ったこともあるようだ。普段は仕事に忙しいみきおさんが若者に恨まれると言えそうな点はこれくらいだろう。

未解決事件のその後

事件から100日目にあたる01年4月8日から9日朝にかけて、宮沢さん宅の裏に流れる仙川沿いの道路上に地蔵が置かれていた。この地蔵は宮沢さん宅の方を向いており、特徴は高さ59cm、重さ約20kgで、底に「六」のような傷があった。地蔵は中国か韓国製のものと見られている。誰に置かれたものかは判っていない。

2005年7月、警視庁成城署特捜本部は韓国人犯人説を否定し、犯人像を「京王線沿線で生活していた若者」に絞り込んだことを発表した。外国人ではない、としたのは、書類など漢字を読みわけている能力があることを確認したからだと思われる。

その後、同捜査本部は犯人の血液を詳しくDNA鑑定の結果から、「父は日本人を含むアジア系民族で、母方にはヨーロッパ・地中海周辺の民族がいた」とする可能性が強まったとした。

犯人の着ていたロングTシャツは、2000年8月から事件当時まで中国から国内に2200着輸入されていたが、この紫×グレーカラーのLサイズの物は都内では以下の4店舗、計10枚しか販売されていないことがわかったからだった。

・京王線京王八王子駅「京王八王子ショッピングセンター」で2枚。
・同線聖蹟桜ヶ丘駅の「聖蹟桜ケ丘オーパ」(多摩市)で3枚。
・JR荻窪駅前の「西友荻窪店」(杉並区)で3枚。
・京成線青砥駅の近くの「ユアエルム青戸店」(葛飾区)で2枚。

特捜本部はそのうち1着の購入者を特定、他9着について絞り込む。また犯人が浴室の高窓から侵入したことから、運動能力は高いと見られ、「15歳以上の若者」という見方をしている。

2005年11月、捜査本部は、怨恨ではなく、金目当てによる犯行と断定し、「当時一人暮らしで、金に困っていた18歳から35歳の男」と絞り込む。

2005年12月11日、現場近くの公園で「事件解決に向けた集い」が開かれた。捜査員は犯人とその家族に対して異例の呼びかけを行なった。

殺害現場に犯人の血痕が残されており、書類などの漢字を読むことができる人物であること、また、事件発生6時間後に東武日光駅での目撃情報があることなど、多数の証拠と犯人像が分かっていながら未だ解決されていない平成最大のミステリーといえる。

この事件は捜査特別報奨金制度対象と指定されている。事件に関する情報提供から犯人逮捕へと展開が待たれる、これからも注目を集め続ける事件であることは間違いない。

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