海外・シリアルキラー

ポール・ベルナルド&カーラ・ホモルカ

肉欲を満たすために人を利用した殺人カップル

実の妹タミーに、ポールが性的興味を抱いていることに気づいたカーラは、差し出すことを決める。1990年12月23日、カーラは睡眠薬入りのカクテルを妹に飲ませ、意識を失わせる。ポールはタミーをレイプし、カーラはそれをビデオで撮影した。タミーは吐瀉物を喉につまらせて死亡するが、事故として片付けられた。

1991年6月7日、カーラは以前から親しくしていた15歳の少女を自宅に招待し、ハルシオンを混ぜたアルコールを飲ませた。少女が意識を失うと、カーラは彼女を「ウェディング・ギフト」(2人は1991年6月29日に結婚)としてポールに差し出した。ポールは少女を、アナルも含めて陵辱する。幸運にも彼女は命拾いした。

ポールとカーラは、ポールが最初のレイプ事件を起こした頃出会った。ポール21歳、カーラ17歳の時だ。中流家庭出身で動物病院の助手として働いていたカーラは、将来有望な若き公認会計士に夢中になり、サディスティックな性行為も無条件で受け入れた。こうして2人の絆は深まっていく。

タミー殺害後も2人は殺人を止めることはなかった。1991年6月15日、ポールとカーラはレスリー・マハフィー (14) を拉致、強姦と拷問を繰り返した後殺害する。その後マハフィーの遺体をバラバラにして捨てた。1992年4月16日、学校から帰宅途中のクリステン・フレンチ (15)を誘拐、13日間にわたり激しい陵辱と拷問を繰り返した。フレンチの惨殺体は4月30日に発見された。

ポール・ベルナルドとカーラ・ホモルカの生い立ち

ポール・ベルナルドは、底なしの性欲を持つ、野獣のような男だった。カーラ・ホモルカは、愛した男の欲情を満たすため、若い女性を調達した。シリアル・レイピストでありシリアルキラーでもあるポールの生い立ちは複雑だ。

ポールは1964年8月27日、カナダ・オンタリオ州スカーボロの裕福な家庭に生まれた。父ケネスは公認会計士として成功していたが、暴力で家族を支配、妻や子どもたちに対して虐待を繰り返していた。ケネスはポールの実の父親ではない。夫の虐待で精神的に参っていた妻は、昔の恋人と逢瀬を重ね、やがて妊娠する。その時身ごもったのがポールだ。

地元を徘徊しては覗きを繰り返すような少年として成長したポールは、1987年頃から強姦を始めるようになる。それは1990年頃まで続き、被害者は13名以上、メディアは「スカーボロ・レイピスト」と名付けた。

2人の逮捕とその後

ポールの暴力に生命の危険を感じたカーラが、警察に駆け込んだことにより事件が発覚、ポールは1999年に逮捕された。カーラは、マハフィーとフレンチ殺人事件でポールの有罪を立証するため、司法取引をした。強姦と殺人罪でポールは終身刑、カーラは懲役12年を受けた。2005年7月5日に出所したカーラは、再婚し3人の子供に恵まれた。

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