チャーミングな好青年の仮面をかぶった悪魔
バンディは自分が持っている魅力やカリスマ性、人を欺く才能を熟知していた。若くて美しい、長い黒髪の女性に柔らかい物腰で近づき、相手が受け入れた途端、サディスティックな悪魔に豹変する。相手が失神するまで殴った後、激しい性的暴行を加え、首を絞めて殺害した。次の犯行までの期間が短く、1日に2人を手にかけたこともあった。フロリダ州立大学の女子寮では、15分足らずで女子大生2名を殺害、2名に重傷を負わせた。
死んだ被害者に対してもバンディは暴行を繰り返した。切り落とした被害者の首を記念品として持ち帰り、部屋に飾ったこともあった。後日死体を遺棄した場所に戻り、屍姦する、または白骨化した被害者の骸骨に射精した。
テッド・バンディの生い立ち
典型的な快楽殺人者として名高いテッド・バンディは、1970年代、少なくとも30人の女性を殺害した。彼の猟奇的な人格には、生まれ持った性格や境遇が影を落としている。
バンディは1946年11月24日、バーモント州バーリントンで私生児として生まれた。母は21歳のエレノア・ルイーズ・カウエルで、父親は不明だ。バンディは祖父母(カウエルの両親)が父母で、カウエルは姉と言い聞かせられながら育てられた。後年出生の事実を知ったバンディは、生い立ちを強く恥じるとともに、父親を明かさない母親に対して強い憎悪を抱くようになる。
バンディは大学時代、スティファニー・ブルックスという理想的な女性と出会い、婚約した。しかしブルックスは幼稚で出世が望めないバンディに嫌気が差し、一方的に婚約を破棄してしまう。「ダメなテッド」として捨てられるという、屈辱的な経験をしたバンディは、容姿や振る舞い、話し方を徹底的に向上させ、共和党ワシントン州支部での仕事も手に入れた。ブルックスがヨリを戻したいと願うほどの好青年に変わったバンディだったが、この頃すでに内面の猟奇性も成熟していた。
裁判と判決
1975年8月に逮捕されたバンディは、1979年6月、被害者の一人、カイ・オメガに対する殺人の罪などで起訴された。バンディの裁判は連日ニュースを賑わせ、大勢の記者が裁判所に押しかけた。グルーピーと呼ばれる多くの女性達が、バンディの一挙一動に心を踊らせた。バンディは有能な弁護士を気取り、自分を弁護した。
1980年までにバンディは、3度の死刑判決を受けた。死刑囚となったバンディは、FBIプロファイラー(当時)のウィリアム・ハグマイヤーに、犯行当時の心境を語ったことがある。バンディにとって女性を殺害することは、究極の所有を実現する、心躍る儀式だった。遺体を捨てた場所に戻るのは、自分の所有物に会える、聖地に行くことと同じだったと言う。1989年1月24日、ライフォードでバンディの死刑が執行された。