事件・事故

警察庁長官狙撃事件

オウムより怖い「警察内部暗闘」謎が謎を呼ぶ、巡査の告白

1995年(平成7年)3月30日午前8時31分頃、國松孝次警察庁長官が出勤のため東京都荒川区南千住の自宅マンションを出たところ、付近で待ち伏せていた男が拳銃を4回発砲。

國松長官はそのうち3発を腹部などに受け、日本医科大学附属病院の高度救急救命センターに搬送された。一命はとりとめたが、全治1年6ヵ月の瀕死の重傷を負った。

男は自転車でJR南千住駅方面に逃走するのが通行人に目撃され、現場からは、朝鮮人民軍のバッジや大韓民国の10ウォン硬貨が見つかったという。

狙撃から1時間後にテレビ朝日に電話がかかる。電話の声は、國松長官に続く次のターゲットとして、井上幸彦警視総監や大森義夫内閣情報調査室長らの名前を挙げて、教団への操作を止めるように脅迫した。

10日前の3月20日に地下鉄サリン事件が発生し、オウム真理教に嫌疑が向けられて8日前の3月22日に、オウム真理教関連施設への一斉強制調査が行われていた。

國松長官は手術中に心臓が3度も止まり危篤状態にまで陥ったが、2ヵ月半後には公務へ復帰することができた。

銃を発砲した犯人は黒っぽいレインコートに白いマスクをし、黒っぽい帽子を被っていたとされている。捜査が進むにつれ、進展が見られず犯人が一向に掴めないため、様々な犯行説が浮上した。

様々な犯行説

オウム犯行説(公安が主張)

  1. •1995年1月13日の上九一色村のオウム真理教の幹部会で麻原が「例えば、警視庁に突っ込んでいって、警視総監の首根っこ捕まえて振り回して来いと言ってきたらどうする?」と警察幹部への攻撃を示唆する発言をしていたこと。
  2. •事件前日の午後に、警察庁長官が住むマンションでオウム信者が「警察国家」と題するビラを配布していたこと。
  3. 狙撃事件の1時間後にテレビ朝日に警視総監らの名前を挙げて教団への捜査中止を要求する脅迫電話があったが、電話の声が教団建設省幹部と似ていたこと。
  4. 事件翌日に信者が都内数ヶ所で配布した事件に関するビラに事件直後の脅迫電話の正確な時刻に関する記述があり、麻原の指示を元にビラの原案を作成していた元教団幹部の石川公一のメモに事件に特徴的な弾丸の記述があったが、これらは作成時点では報道されていなかったこと。
  5. 元教団幹部に酷似する男が狙撃犯の逃亡ルートと反対側の方向を南千住警察署前を2回自転車で走行する姿が目撃されており、捜査攪乱のために狙撃犯のダミー役を担った可能性があること。
  6. 元オウム信者の元巡査長が事件の数日前に現場周辺で怪しまれた際に警察官と名乗った等の供述には目撃者の証言が確認されており、元巡査長が現場の下見と思われる行為をしていたこと。
  7. 事件現場に遺留された韓国10ウォン硬貨から元オウム信者の男のミトコンドリアDNAが検出されていること。
  8. 元巡査長の私物コートには拳銃を発射した際にできる溶解穴があり、また元巡査長のアタッシェケース(事件2ヶ月前から販売)や黒革製手袋の付着物等が事件で使用された銃弾の火薬成分と矛盾しないとの鑑定結果が出ていること。

強盗殺人未遂犯N説(警視庁刑事部が主張)

  1. •被疑者が1980年代後半にアメリカで事件で使用された拳銃を偽名で購入していたこと。
  2. 被疑者が犯行直後に逃走した自転車を近くに放置したと供述し、事件直後に放置場所に不審に置かれた自転車に関する目撃証言があったこと。
  3. 被疑者が犯行後に東京の貸金庫に拳銃を格納したと供述し、東京の貸金庫には事件から1時間後の開扉記録が残っていること。
  4. 被疑者が事件2日前に警察官2人が警察庁長官宅を訪問している事実を把握しており、下見をしていたこと。
  5. 被疑者のアジトから韓国10ウォン硬貨が発見されたこと。
  6. 警察庁長官の住所を把握するために侵入したとされる警察庁警備局長室の配置について、被疑者による証言が実際の配置と一致していること。
  7. 被疑者が犯行時所持したカバンの形状と同じものが被疑者アジトから発見されたこと、鑑識の鑑定によってカバンから金属片反応が確認できたこと。

日本テレビ長官狙撃自白報道

警察庁長官が義憤によって狙撃されたことを捜査仮説とすることは、警察がオウム真理教への対応を誤ったことをなかば認めることを意味するため、警察組織内の内部力学がマスコミを巻き込んで様々に働いたことは確かであったとみられる。

この報道では、警視庁公安部からの協力要請で、犯行をほのめかしながら供述に矛盾があるとして立件されていなかった容疑者のひとりで、元巡査長だったオウム真理教の信者から、詳細かつ整合性のある記憶を呼び起こしたとされた。しかし、起訴には到らず、逆に日本テレビの報道姿勢と報道倫理が批判され、国会でも問題視されることとなった。

警察利権に絡んだ内部犯行説(ジャーナリストの広野伊佐美が主張)

前任の城内康光元警察庁長官はオウム事件への積極的捜査を抑えていたが、後任の國松は、オウム事件に対する本格的な調査を行うよう指示した。城内が公安局長時代の1990年に、パチンコ業界からの闇資金が北朝鮮に渡り、その金が社会党に流れていた疑惑が浮上、調査委員会の設置を依頼した自民党の奥田敬和議員に対して、パチンコ業界に多数の警察OBが天下りをしていたことを理由に協力を拒否した結果、昇進を見送られた過去があるとしている。城内はその後、警察庁長官に就任するが、長官時代に警察官の制服変更、ピストルメーカーの変更などの「警察利権」を武器に、刑事部出身の警察官僚を排除して、公安部出身の警察官僚を重用する人事を行ったため、刑事部の反発や警察組織の内部抗争を招く結果となった。その後、事件前に警察庁の城内から、刑事局出身の國松へ変わった。そこでオウムの犯行に見せかけることで、警察の主導権を公安部に引き戻す狙いがあったのではないかと主張した。

その他の犯行説

  1. 北朝鮮の工作員説
  2. 暴力団説
  3. 過激派説

も噂されたが、オウム犯行説と強盗殺人未遂犯説程の証拠や証言が得られなかったことや、警視庁刑事部と公安部が自らの説を確信して譲らず、第三局の可能性を全く考えなかったことから、捜査が行われることがほとんど無かった。

その後

警察庁長官狙撃事件によって警察機構は以下の影響を受けた。

1995年3月29日にオウム真理教事件についてに全国の地方警察に「警察の総合力の発揮」「捜査追及体制の強化」「捜査及び実態解明の徹底」「サリン使用犯罪の絶対防圧」「国民の理解と協力の確保」を指示した警察庁長官通達が警察庁で作成されていた。オウム真理教がサリンを生成していたことが確認されれば国松長官の決裁を経て直ちに発信される予定であったが、3月30日に国松長官が狙撃されたため発信されることはなかった。

警察庁長官狙撃事件前は警察キャリアで古いのは1961年入庁の国松孝次警察庁長官で次は1962年入庁の井上幸彦警視総監だった。しかし、狙撃事件を受けて国松長官が入院中して職務を取れない間は、警察キャリアで古いのは1962年入庁の井上幸彦警視総監で次は関口佑弘警察庁次長となり、微妙な人間関係から警察庁と警視庁の暗闘をもたらしたとされる。

なお、本件は2010年(平成22年)、時効が成立している。

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