置き去りコーラを拾い飲み、青酸カリによる無差別殺人迷宮入りへ
1977年、1月4日から2月半ばの間にかけて、東京・大阪でシアン化ナトリウム入りのコカ・コーラを飲んだ会社員らが死亡するという無差別殺人事件が発生した。
犯行の経緯や動機
【第1の事件】
1977年1月3日、東京都港区で男子高校生(16歳)がアルバイト先から宿舎へ戻る途中、品川スポーツランド近くの公衆電話で未開封のコカ・コーラを拾い翌日飲んだ。
異様な味を感じたため吐き出して口をすすぐが、意識不明となり、救命措置が行われたが、青酸中毒による死亡が確認された。
【第2の事件】
同日、第1の事件の電話ボックスから約600m離れた歩道で、作業員の男性(46歳)が倒れているのが発見され、病院に運ばれたが青酸中毒による死亡が確認された。男性の付近に、自分で開栓したとみられるコーラ瓶が発見され、青酸反応が検出された。
【未遂の事件】
同日、警察が品川区の商店の電話に青酸入りコーラを発見。
【第3の事件】
2月13日、大阪府藤井寺市の会社員男性(39歳)が出勤途中に酒屋の公衆電話で中身の入ったコーラ瓶を発見、飲んで不明となり病院に運ばれた。コーラ瓶からは青酸反応が検出された。
男性は一命を取り留めたが、退院翌日、自宅でガス自殺した。直前に家族へ、東京の事件を知っていたのにこのようになり、世間に顔向けできないと話していたという。
【関連不明の事件】
2月14日、東京駅の八重洲地下街で、会社社長の男性(43歳)がチョコレートの入った紙袋を発見、一連の事件から疑いを持ち、警察に届けた。
遺失物として保管していたが落とし主が出てこないため製造者に返却、製造番号が破られており、不審に思い調べたところ青酸化合物が検出、再び警察に届けられた。
チョコレートの箱には片仮名で『驕れる醜い日本人に天誅を下す』といったゴム印が押されていた。
2月14日、神田駅のトイレでチョコレートを拾った男性が電車で食べ、意識不明となり病院に搬送されたが、食中毒と診断される。意識が戻り翌日退院した。
翌年捜査員の耳に入り、本人から提供されたチョコレートを分析したところ微量の青酸ナトリウムが検出された。
警察が改めて捜査を行い、2月14日以前にもチョコレートの入ったバッグが置かれていたのを東京駅で見たと複数の証言が出た。
警察は同一犯の可能性が高いとして操作したが物証に乏しく、犯人・犯行を特定できないまま1992年1月4日午前0時、時効となった。
判決とその後
この事件より、一度開栓したら元の状態に戻すことの出来ないプルトップ付き缶が自動販売機の主流なり、ビンは一度開栓すれば分かるスクリューキャップボトルへ変更された。
また、購入したもの以外を拾い食いしないよう呼びかけられ、以降同様の事件はなくなった。