謎の人物「草加次郎」による連続爆発物事件。愉快犯とみられたが、懸命な捜査も空しく未解決事件に。

1962年11月から1963年9月に起きた爆破、脅迫、狙撃などの1連の事件である。
1962年から1963年の間に、十数件にわたって「草加次郎」名での爆破、脅迫、狙撃などの事件が相次いだ。犯人は複数回にわたって現金の受け渡しを指示したが、最後まで受け渡し場所に現れることはなかった。草加は指紋と筆跡を残しており、警視庁は延べ一万9,000人をリストアップするも、犯人の特定には結びつかなかった。1978年9月5日に公訴時効が成立。戦後日本の犯罪名に名を残す未解決事件となった。
事件の経緯と詳細
1962年11月4日、東京・品川区にある歌手の島倉千代子さんの後援事務所に届けられた郵便物の小包が突然爆発。男性の事務員(当時23歳)が2週間の火傷を負った。
大量のファンレターに埋もれていたこの小包は円筒型をしていて、中をひらくとボール紙製の短刀のようなものが出てきた。この短刀のサヤの内部には赤リンが塗ってあり、刃にあたる部分には過塩素酸と硫黄が塗ってあった。つまりマッチのようになっており、紙の短刀をサヤから引き抜くと、摩擦によって燃え上がるという仕組みをしていた。そして短刀には「K」、サヤ部分には「草加次郎」、包み紙には「祝」「呪」という文字が書かれてあった。これが、この後10ヶ月にもわたって人々を恐怖に陥れた爆弾魔・草加次郎事件の発端となる事件だった。
11月13日 六本木・ホステス宅
港区六本木に住むホステス(当時41歳)のもとに島倉後援事務所と同じ円筒型小包爆弾が届くが、怪我はなかった。
11月20日 有楽町「ニュー東宝劇場」
夕方頃、有楽町の映画館「ニュー東宝劇場」で、観客の1人が3階ロビーのソファーにあった円筒型のボール箱を触ったところ、箱が突然爆発・1週間の火傷を負う。
このボール箱は乾電池と火薬が仕組んであり、横にしてある状態では何も起こらないが、立てると同じに電池が接点に接触し、火薬に電流が通じて爆発する仕組みになっていた。
11月26日 日比谷劇場
夕方、「日比谷劇場」の洗面女に、「ニュー東宝」の物と同じようなボール箱が放置してあり、清掃員の女性(当時47歳)が掃除中にうっかり床に落とし、爆発。怪我人はなかった。爆発物から指紋が検出される。
11月29日 世田谷・電話ボックス
夕方、世田谷区玉川瀬田町の公衆電話ボックスで、会社員が中に放置してあった「石川啄木詩歌集」のケースから本を引き出そうとしたところ、いきなり爆発。5日の火傷を負った。これは本の表紙をくりぬいて、ニクロム線を配線した電池3個と花火の火薬がつめられていて、ケースから本を抜くと金属片が乾電池に接触して火薬が爆発するというものだった。本から親指の指紋が1ヶ所発見される。
12月12日 浅草寺
浅草寺境内の銀杏の切り株の上にエラリー・クイーンの推理小説「犯罪カレンダー」が置かれてあり、これを拾った人が1週間の火傷を負った。爆弾の仕組みは電話ボックスのものと同じで、親指の指紋が残されていた。
11月、12月の6件の爆弾物事件が起こって以降、草加次郎の活動は一旦鳴りをひそめたかに見えた。ところが彼の犯行は続いていた。
7月中旬 上野公園おでん屋台店主銃撃事件
夕方頃、上野公園2号地でおでんの屋台を開いていた男性(当時27歳)が、突然後ろからピストルの弾丸を撃ちこまれ重傷を負った。上野警察署の調べによると、この弾は小型ピストルのものよりは小さく、手製かもしくは玩具製ピストルのものと推定された。
その10日後、上野署に「草加次郎」の署名入りの封筒(切手なし)が届き、中には手製のピストルの弾丸が入っていた。
「おでん屋銃撃事件の犯人は草加次郎か――」
刑事達は色めきだつ。鑑識の結果、この弾丸はおでん屋が撃たれたものと材質も大きさも同じものだと判明した。当初、おでん屋銃撃は露天商同士の縄張り争いによるものだと捜査されていたのだが、弾丸送付は草加次郎が「自分の犯行だ。見当違いの捜査はやめろ」というアピールをしたのではないかと見られる。
5月~8月 女優・吉永小百合脅迫事件
8月30日、渋谷区の女優・吉永小百合宅で、「草加次郎」名の2通の脅迫状が発見される。消印によれば、1通目は5月14日、2通目は5月23日に投函されていていて、ともにおでん屋に撃ちこんだものと同じ弾丸が入っていた。通報を受けた警視庁捜査四課が同宅で未整理のファンレターを調べた結果、さらに2通の脅迫状が見つかった。やはり弾丸が入っており、7月中旬に下谷郵便局で投函されたものだった。
五月十八日午後七時、上野駅正面横の喫茶店ひがしに現金百万円をあなたのお父さんが持ってこい。七時二十分に電話する。あなたの呼び名は田中。
草加次郎
ちなみにこれは1通目の脅迫状。2通目は内容は同じで、現金受取指定日を「27日」に変更していた。

――午後七時十分上野発青森行急行十和田に乗ること。進行方向に向って左のデッキに乗り、外を見ること。青(緑)の懐中電燈の点灯する所に現金百万円を投下すること、8時までに完予。
草加次郎
これが3通目の脅迫状である。4通目は内容はほぼ同じで、「投下しないと殺す」と赤いインクで書かれており、「十和田」の乗車指定日を「七月二十五日」に変更していた。この脅迫状が届いた後、6人の本部員を「十和田」に乗せ、現金を用意。沿線一帯に289人を張り込ませ、追跡車両や投光器も準備した。だが犯人は姿を見せなかった。
9月5日 地下鉄爆破事件
1963年9月5日午後8時14分頃、地下鉄銀座線京橋駅に停車中の車内で手製の時限爆弾が爆発、乗客10人が負傷するという事件が起こった。初めての実害だった。爆弾は時計じかけになっており、針が動いて予定の時刻にくれば爆発するようになっていた。小型だったため被害は少なかった。時計の裏ぶたには「次は十日―――」と書かれていた。
この事件以後、警察庁では大捜査網を敷くが、彼の犯行はなぜかピタリと止まる。彼につながるような手がかりの発見もなくなった。一方で、「草加次郎」の名を騙るイタズラも多発した。
1978年9月5日、時効成立。
草加次郎の犯人像
草加次郎とは一体どんな人物だったのだろうか。「年齢15歳から30歳。台東区の西部もしくは常磐線沿線に住んでいて、火薬と電気の知識があり、世の中に不満を抱く男。指紋などから前科はない」というのが捜査陣の見方だったが、各メディアは挙って草加次郎の犯人像推理を試みた。
「年齢15~30歳、ガンマニアか機械いじりの好きな意外に明るいタイプの性格。文学青年」(「歴史読本」)
「若くて社会に不満を持っている。ビジネスマンではない。受験生か、失業中の者。ガンマニアで、科学的な知識がある。表面はごく一般的な男だが、陰で異常性格があらわれる。(「週刊大衆」)
「(負傷者10人を出した地下鉄事件後)それくらいでやめるんだから、真面目で小心な男なんだろう」(「週刊大衆」 捜査員談)
「あれだけ連続して犯行を重ねていた犯人が、突然プツリと消えたのは死んでしまったからではないか」(「週刊大衆」 作家・結城昌治談)
「犯人は若者と言われてますが、私は中年、大正から昭和初期の人間じゃないかって気がするんだ。というのも、”草加次郎”というネーミングは若者じゃない。若者なら、なんとかキッドとかつけそうなもんだ」 (「週刊大衆」 作家・西村京太郎談)
「装置そのものについては幼稚なものだが、一般のシロウトが誰でもつくれるといったものではない」(「週刊サンケイ」 警視庁科学検査所談)
爆弾がしかけられた映画館「ニュー東宝」では当時アメリカ映画「乾いた太陽」、「日比谷映画劇場ではアメリカ映画「ハタリ」が上映されていた。
島倉千代子後援会事務所の封筒の消印は1文字目が判読できず、2文字目は「谷」という字だった。このため渋谷か下谷郵便局内から投函されたものとされたが、上野警察署に弾丸が送られてきた封筒が下谷消印で、犯人は下町中心に犯行を重ねていたことから下谷の線が強いとされた。
渋谷・東横デパート爆発脅迫事件
草加次郎による脅迫事件が続いていた63年7月末から8月にかけて、渋谷の東横デパートでも似たような事件が起こっていた。
7月24日午後3時頃、同デパートに「制服を着た女子店員に現金五百万円を持たせて。3時半までに渋谷東映前によこせ。警察に言うと、時限爆弾を爆発させてやる」という内容の脅迫電話がかかる。声の主は3、40代ぐらいの男性。
デパート側は電話を受けてすぐ警察に通報。渋谷署の婦警が店員を装って、東映前に立った。結局、男は現れなかった。
午後3時50分になって、同デパート西館9階の男子トイレで突然爆発が起こり、天井が崩れた。幸い怪我人は出なかった。爆発物はトイレの天井の屋根裏に仕掛けられていたもので、長さ10cm。直径2cmの黒色火薬とみられるもので、乾電池とクッキングタイマーをつなげて時限装置に改造されていた。
8月11日夕方、同デパートの東館屋上で爆発。怪我人はなかった。
8月14日昼前、同デパートに親展とされた速達小包が「百貨店長殿」という宛名で送られてきた。これを庶務課の女子職員が開封すると、「シューッ」という音が鳴り始め、男性職員があわててそれを奪い、応接室まで駆けこんだところで爆発。男性職員は軽い火傷を負った。
この小包には脅迫状があり、「現金五百万円を大至急小包にし、速達で送って欲しい。送り先は沼津郵便局止めとし、受取人は日産自動車内の女性名とするように。発送にあたっては読売新聞全国版に、二行広告を出すように。今度は本格的に売場を爆発する、人名の安危は保障しがたい。これまでご迷惑をかけた品物も一部証拠品として送りますぜひ、お受取り下さい」と前文カタカナで書かれていた。
デパート側は、8月17日の読売新聞社会面に「八月十九日に送る。八月二十日午前着く予定」という広告を掲載し、警察はニセ小包を手配、刑事10人を沼津市に派遣させ、うち4人は郵便局の小包係にまぎれこませた。だが犯人は郵便局に現れず、爆発も起こらなかった。
この爆破脅迫事件は草加次郎のおでん屋銃撃と、吉永小百合脅迫状事件の間に起こっていたもので、捜査員は草加次郎との関連を調べたが、爆発物と脅迫状の筆跡が違うことから、「草加次郎」の名を騙った者の犯行ではないかと見られた。