逆転無罪の容疑者、すぐに別の事件起こし逮捕
2008年5月6日、京都府舞鶴市で高校1年の女子高生が自宅を出た後、翌日友人と携帯電話で話し、直後兄に携帯メールを送信したのを最後に行方が途絶えた。
同日、女子高生が家に帰らないため家族が捜索願を出し、翌日8日午前8時45分頃、自宅から約7km離れた同市内の朝来川(あせく)近くの雑木林にて女子高生が遺体で発見された。
なお、この事件発生の7年前となる2001年11月5日には、18歳の女子高生が行方不明となり、17日に首を刃物で傷つけられた遺体となって発見された「舞鶴高3女子殺害事件」が起きており、未解決事件となっている。
犯行の経緯や動機
2008年5月6日、高校1年の女子高生が午後10時以降に自宅を出た後、翌日午前0時頃、友人に「国道沿いのドラッグストア付近にいる」と携帯電話で話し、その直後に東京に住む兄に携帯メールを送信したのを最後に行方が途絶えた。
後の複数の防犯カメラの記録により、同日未明、女子高生が黒い服を着た自転車を押す男性と一緒に雑木林に向かう府道を歩いているのが見つかっている。
同じく未明、女子高生はバールのようなものでの顔や頭などが殴打された上、窒息死。遺体には土や枯れ葉を掛けて隠される。
午前9時頃、女子高生が家に帰らないため、家族が捜索願を出す。
翌5月8日午前8時頃、雑木林で女子高生は遺体として発見され、死因や死亡時刻が明らかとなる。
女子高生に周辺とのトラブルは無く、事件直前に掛けていた携帯電話の通話やメールからも犯人には結びつかず捜査は難航。
聞き込みの結果、8月に現場近くに住む無職の男性・中勝美が容疑者として浮上。
中は5月6日夜から7日未明に市内の飲食店二店を自転車で訪れ、帰路と時間帯が女子高生が通過したものと重なり、防犯カメラに映った自転車の男と中の体格が同一であると鑑定結果が出て、さらに当日黒い服を着ていたことも判明した。
11月15日、 中は女性下着や賽銭を盗んだ罪で逮捕され、11月26日、家宅捜索の後に起訴。翌日、5月に発生した殺人罪と死体遺棄罪容疑で2回目の家宅捜索が入り、約2000点が押収された。
翌年2月26日、中は窃盗罪で懲役1年が確定し服役。4月7日、中は殺人事件による殺人罪と死体遺棄罪で逮捕され、29日、殺人罪と強制わいせつ致死罪で起訴された。
中は殺人事件直後に、当日着ていた黒い服を捨てたり、自転車の色を塗り替え、また凶器と見られるバールを数年前から持っていたが事件直後に無くなるなど明らかになり、捜査機関は証拠隠滅のためという見方をしている。
また中は過去に内縁の妻とその兄を殺害し懲役16年の有罪判決を受けたことや、強制わいせつ罪や傷害罪で懲役5年の有罪判決を受けた経歴が判明した。
判決とその後
2010年12月21日、初公判が開かれ、3月18日に検察側は死刑を求刑、弁護側は無罪を主張した。
2011年5月18日、目撃証言や防犯カメラから死亡直前の被害者と一緒にいたことや、未公表の被害者遺留品の供述に証拠能力を認めて有罪としたが、偶発的な犯罪であることから死刑を回避して無期懲役判決となった。弁護側は控訴。
翌年12月12日、無期懲役判決が破棄され、逆転無罪の判決となった。
2014年7月10日、検察側の上告が棄却され、無罪判決が確定した。
中は約4ヶ月後に知人女性を刺したとして殺人未遂で現行犯逮捕、懲役16年で服役していたが、2016年7月11日、大阪医療刑務所で病死した。
なお、 2007年6月から2008年6月にかけて、京都府の元教諭(犯行当時は現職の小学校教諭)の男が、この事件を引き合いに出し、「舞鶴の(女子高生殺害)事件みたいになりたいんか」「騒いだら東舞鶴の事件みたいなことになる」などと脅す形で6人の女子高生に性的暴行を加える事件が発生している。
ちなみに、こちらの事件は強姦致傷罪などに問われ、2009年9月8日に京都地裁(坂上文一裁判長)は「犯行当時小学校教師として勤務しており、社会的影響の大きさを無視できない」として、懲役12年(求刑15年)の判決を下している。