部下の女が不倫相手の上司男の家に放火し、子ども2人を殺害した事件
北村有紀恵(以下女A、事件当時27歳)は同じ職場の上司B(当時34歳)と以前から不倫関係にあった。しかし、二人の間では別れ話にまで発展しており、Aは怨恨感情を強くもってしまった。
事件までに女Aは上司Bや妻の行動パターンを綿密に調査し、会社までの通勤経路や自宅を出発する時間帯など詳細にわたって把握していた。
そして、Bは会社出勤時には必ず、Bの妻(当時33歳)に乗用車で最寄り駅まで送ってもらっており、この間のBの妻が送って戻るまでの時間の約15分間はB夫妻ともに家を不在にすることに気づいた。
1993年(平成5年)12月14日、女Aは早朝にBの自宅のある東京都日野市に向かった。
そして、B夫妻がともに自宅を留守にする時間帯に以前上司BからもらっていたBの自宅の合鍵を使用して自宅に侵入した。
侵入時、Bの自宅には、Bの長女(当時6歳)、長男(当時1歳)がおり、二人とも就寝中であった。
これを見た後、Aは二人の衣類の上や部屋の至る所にガソリンを散布し、火をつけた。その結果、室内が全焼し、Bの二人の幼児は残念ながら逃げ遅れ亡くなってしまった。
警察はAが真犯人である可能性が高いと事件当初から推定していたが、有罪となるまでの必要十分な証拠をつかめていなかった。
一方、Aは事件発生から出頭前日までいつも通り出勤していたが、警察の捜査が自分の身辺にまで迫ったことを察知し、また父親からも自首を強く勧められたことから、翌年の1994年2月6日午後に自ら警察に出頭した。
不倫関係の後妻に浮気がばれ、中絶について笑われた結果生まれた憎悪の念がきっかけ
Aは大学卒業と同時に、大手電機メーカーに就職し、東京都府中市にある事業所のシステム開発部門に配属された。このときのAの直属の上司となったのがBである。
その後、勤務時間内外を通じてこの二人がお互いに恋愛感情をもつまで長い時間はかからなかった。当時Aは独身だったものの、Bには既に妻子がいた。
従って、二人はお互いの家族状況を認識しながら慎重に深い不倫関係になっていった。
1991年4月Bの妻が流産すると、二人の仲はますます深くなり、二人だけで居酒屋に行くほど親密になった。
その4か月後8月6日、Aは妻が不在であったことを見計って、Bを自宅に招き肉体関係をもった。
二人が不倫関係を続ける中、1992年にBの妻が第二子を妊娠した。Aは、この妊娠を知ると、自分とは避妊しながら肉体関係をもつのに、妻とは避妊を選ぶことなく妊娠できることに激しく嫉妬した。
そのうち、今度は1992年4月にAが妊娠した。このときBはAに対して将来的には妻とは離婚しAと結婚するつもりだが、現時点ではまだ妻との離婚が成立していないため、中絶してほしいと伝えた。
また今後二度と中絶の手術を受けさせたくないからという理由で避妊を要求した。Bの妻は里帰り出産をするため実家に戻った。その間、AとBはBの自宅で同棲生活を開始し、ほどなくAは2回目の妊娠をすることとなった(が、結局中絶した)。
1993年5月18日、二人の不倫関係がついにBの妻が気づいた。このときBの妻はBを激しく避難するとともにBに対して、自分に慰謝料を支払い離婚するか、Aとの関係を解消しこのまま夫婦関係を継続するかと、どちらかに選んでほしいといった。
その結果、BはAとの不倫関係を止め、夫婦関係を継続することを選択した。このことをBはAに電話で伝えた。
この電話の際、AはBの妻に対してこれまでの行為について謝罪したが、Bの妻は納得せず、その後も厳しい抗議を続け、Aは精神的に不安定な状態に追い詰められていった。
そのうち、Bの妻から「自分は2人の子どもを生み育てているが、Aは2回妊娠し2回とも胎内から掻きだす女だ」と笑われたことがきっかけとなり、Aの心にはB家族に対して強い憎悪が沸き起こり、子供2人を焼殺させることになった。
無期懲役の判決とAの手記
この事件に関して、東京地裁・東京高裁・最高裁のいずれも、この事件のAの犯行の根本的な原因・責任は、自身の性格・感受性・考え方の短所・欠点にあるという検察の主張を認定し、無期懲役という判決を下した。
Aは受刑開始後に雑誌「月刊創」(創出版)において、「不倫放火殺人OLと呼ばれて」という手記を発表した。
この手記の中でB夫妻の子供2人を焼殺させたことは深く反省し、子供2人に対して毎日刑務所内で冥福を祈願している一方、Bに騙され、もてあそばれ、心体ともに傷つけられており、被害者の一面もあることを主張している。
Bは、事件当時の勤務先については自己意思により退職した。B夫妻の間には事件後、1男1女をもうけている。
ちなみに、後にBさんの妻がインタビューで証言した内容によれば「生きている子どもを平気で掻き出す人」というようなことは言っておらず、自分が流産した時に医者にお腹の子どもを掻き出すといわれて傷ついた体験を話し、「堕胎の辛さはわかる」と慰めたのを、女Aが自分への侮辱と勘違いしたというのが真相のようである。