連続殺人で遺産を得続けた犯人、認知症を訴えるも死刑

京都府、大阪府、兵庫県の三都道府県において2007年から2013年にかけて筧勇夫さん(75歳)と本田正徳さん(71歳)、日置稔さん(75歳)が毒殺された。
犯人として筧さんの妻であり本田さんや日置さんと内縁関係にあった筧千佐子(67歳)が逮捕された。
千佐子は更に4名の男性を同様に殺害した旨の供述をしていたが証拠不十分により不起訴となった。
犯行の経緯や動機

1994年頃より犯人の千佐子の周辺では10名に及ぶ男性が死亡しており、千佐子は数億円の遺産を手にしていた。
2004年、千佐子は結婚相談所を介して兵庫県神戸市の男性と知り合い、投資の資金として男性から約4000万円の金を借りていた。千佐子は借金を踏み倒すことを目的に男性へ青酸化合物を飲ませて青酸中毒にさせた。2009年5月に男性は死亡。
2010年10月頃、千佐子は結婚相談所を介して知り合った正徳さんと交際を開始。
2012年3月、千佐子は大阪府貝塚市の喫茶店で正徳さんに青酸化合物を摂取させる。9日、正徳さんは泉佐野市をバイクで運転中に事故を起こして搬送されるも死亡が確認された。搬送時には突発性の心停止と診断されている。
正徳さんの死後、千佐子はマンションを売却する等により約2000万円を得た。
2012年10月頃、千佐子は結婚相談所を介して稔さんと知り合い、2013年9月20日に兵庫県伊丹市の飲食店で青酸化合物を飲ませ殺害。搬送先の病院は死因を肺がんとしていた。
2週間前には財産を千佐子へ遺贈する旨の遺言公正証書を作成しており、死亡後には約1500万円の遺産を得た。
2013年11月、千佐子は結婚相談所を介して知り合った勇夫さんと結婚。翌12月に京都府向日市の自宅で青酸化合物を使い勇夫さんを毒殺した。当時の千佐子は約1000万円の借金を抱えていた。
勇夫さん殺害により警察は、千佐子の遺産目的による連続殺人として捜査。正徳さん死亡についても遺体の血液を再鑑定したところ青酸化合物が発見された。

2014年11月19日、千佐子は京都府警によって勇夫さん殺害の容疑で逮捕・起訴された。千佐子は1994年以降に周囲で死亡した男性について8名の殺害を自供した。
2015年1月28日、千佐子は大阪府警によって正徳さん殺害の容疑で再逮捕・起訴された。更に同年6月11日、2009年5月に死亡した男性に対しての殺人未遂容疑で再逮捕・起訴された。
同年9月9日、合同捜査本部によって千佐子は稔さん殺害の容疑で再逮捕・起訴された。
10月27日に更に2名、11月6日に更に2名の殺害等の容疑で送検されるも4名に関しては千佐子は不起訴となった。
判決とその後

2017年6月26日、京都地裁にて千佐子の裁判員裁判が開かれた。争点は認知症を持つ千佐子の責任能力と、証拠に乏しいことであった。検察側は死刑を求刑して弁護側は無罪を主張。
2017年11月7日、千佐子は京都地裁の判決公判にて死刑を言い渡された。控訴するも棄却されて上告した。
2019年3月1日、大阪高裁での控訴審初公判が行われたが筧は出廷せず、審理は即日結審した。これを受けて弁護士は「被告人の訴訟能力を一切審理しないまま死刑判決を維持した」として大阪高裁を批判するとともに、同判決を不服として最高裁判所へ即日上告した。
2019年5月24日、1審京都地裁で死刑判決を受けた筧千佐子被告の控訴審判決で、大阪高裁の樋口裕晃裁判長は1審判決を支持し筧被告の控訴を棄却した。
2021年6月29日、上告審判決にて最高裁第三小法廷(宮崎裕子裁判長)は弁護士の上告を退け、死刑が確定した。
2022年、死刑囚として大阪拘置所に収容されていた筧は、京都地裁に再審請求を行った。
筧は「死刑を受け入れる覚悟はあるが、判決に不満はある」と取材に語った。
2024年3月11日、京都地裁(安永武央裁判長)は再審請求棄却の決定を出した。筧はこれを不服として、大阪高裁に即時抗告した。
2024年12月26日午前、職員の呼びかけに反応がなかったため筧千佐子死刑囚は収容されている大阪拘置所から病院に搬送され、その後死亡したと法務省が発表した。
拘置所によると、解剖の結果、死因は病死で、急性大動脈解離により血液がたまって心臓が圧迫される「心タンポナーデ」だったと判明した。遺骨は遺族に引き渡されたという。
享年78歳。
これにより、大阪高裁は申立人死亡によって再審請求手続きが終了したと発表。
ちなみに、千佐子が彼らから相続した不動産や預貯金の合計額は10億円以上と見られており、また、獄中ルポルタージュが複数出版されている。