事件・事故

連合赤軍リンチ事件(連合赤軍事件)

山岳アジトで連合赤軍の同志たちが「総括」と称してリンチ殺人

連合赤軍リンチ事件は、「あさま山荘事件」の後、連合赤軍が12人もの同志を殺害する「総括」を行なっていた事件である。

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事件の経緯

1971年から翌年にかけて、学生運動団体の「連合赤軍」が、群馬県の山中に作ったアジトで、メンバー同士による凄惨なリンチ事件を起こしていた。

リーダーの森恒夫(27歳)と永田洋子(27歳)は「誰もが幸福な社会を実現するためには、武力によって権力を倒す必要がある」と主張し、群馬県榛名山などで「同志」たちと軍事練習を始めた。

この軍事練習合宿を通して、メンバーたちは、自分の誤った考えを仲間の前でさらけ出す「自己批判」を行い、自分の行動を「総括」することで、真の「革命戦士」になれると信じていた。

しかし、次第に「総括」は森と永田の独裁権力の維持へと、その目的が移行していった。

総括の対象となったものは激しいリンチが加えられた後に、真冬の屋外に放置されて亡くなっていった。

事件の発覚から逮捕まで

森と永田が逮捕された時、妙義山中のアジトに切り裂かれた衣類が見つかった。衣類には大量の糞尿がこびりついていた。この時、群馬県警・中山和夫警備二課長は誰かが殺されているものと見た。これは人が死ぬ時には大量の糞尿が排泄されるが、遺体から着衣を剥ぎ取る時にそういう風に切って脱がせるからだった。

森や永田は頑として何も話さなかったが、3月に入ると、奥沢修一や、あさま山荘に立てこもったMが同志殺しを自供し始めた。

3月7日、群馬県警は甘楽郡下仁田町の山中で、約1mほどの深さの穴に埋められた男性の遺体を発見した。赤軍メンバー・山田孝(元京大生・27歳)のものである。遺体は手足が縛られており、死因は凍死だった。衣類はナイフで切り裂かれており、このことを先に逮捕されていた森恒夫と永田洋子らに示すと、異様な反応を示した。

さらに追及した結果、自供から「総括」と呼ばれるリンチの実態が浮かんできた。榛名山に集結していたメンバー29人のうち、12人が死刑、または総括で死亡していたのである。12人がすでに殺されていたという報告を受けた警察庁長官・後藤田正晴は「君、そんな馬鹿な…」と絶句したという。

また亡くなっていた山本順一の妻・保子が10日に名古屋・中村署に出頭、その長女・Rちゃん(当時3ヶ月)は千葉・市川署に保護され、Rちゃんを連れ出していた中村愛子も出頭した。他にも岩田平治(当時22歳)、前沢虎義(当時24歳)も逮捕され、リンチ事件に関わったとされる17人が全員逮捕された。

そして凍てつく土の中から続々と11人のメンバーの遺体が掘り起こされた。遺体には凄惨な暴力や衰弱の跡があり、男女の区別がつかないほどだった。金子みちよ(24歳)にいたっては妊娠8ヶ月で、胎児をかばうようにお腹をおさえて死んでいた。死因は凍死、胃の中は空っぽだった。

判決とその後

森と永田は同志たちと別行動をとり、山中を移動しているところを発見され、逮捕された。

その後、森は東京拘置所内で東京拘置所内で首吊り自殺。

また、永田には死刑判決が下ったが、2011年2月5日、脳腫瘍によって獄中死した。

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