毒殺後、残虐な処理法で死体を「透明」に。
1994年1月25日、大阪愛犬家連続殺人事件の上田宣範が逮捕される。
この事件の報道後、「埼玉県にも人殺しの犬屋がいる」という噂がマスコミの間に流れた。
この時、すでに警察は長年にわたって容疑者をマークしており、報道に後押しされる形で本格的な捜査に乗り出した。
この事件で最も衝撃が大きかったのが”ボディを透明にする”というフレーズ。
死体が見つからなければ完全犯罪が実現できると考えた男は、被害者をバラバラにしてサイコロ大までに切り刻み、残った骨や衣服、所持品を灰になるまでドラム缶で焼却した。また、細かくした肉は川に流して魚に始末させ、灰は山中でばら撒いて処分したという。
男の目論み通り、証拠となる遺体捜索は困難を極め、本事件は”遺体なき殺人”として「迷宮入り」になるかと思われた。しかし、遺棄現場で被害者の遺骨や遺留品を発見し、1995年にペットショップ経営者の男と共謀者である元妻が逮捕されたことによって事態は急展開した。
そして2009年には、2人の死刑判決が確定している。
事件概要
埼玉愛犬家連続殺人事件は、埼玉県熊谷市でペットショップ「アフリカケンネル」を運営していた男女(以下、夫をA、妻をBといいます)による殺人、死体損壊・遺棄事件です。
A、Bは、1983年に結婚し、事件前の1993年1月に協議離婚しています。
離婚は、税金対策のためのいわゆる偽装離婚だったとも言われており、離婚後もペットショップの経営を続けていました。
しかし、事件当時は、バブルが崩壊し世の中は不景気の真っ只中でした。
A、Bは、豪華な犬舎兼自宅の建設などで多額の借金を抱える中、不景気のあおりでペットショップの売り上げが落ち、生活に行き詰っていました。
そんな中起こしたのがこの殺人事件でした。
A、Bが起こした事件は3つです。
3つの事件
第一事件
第一事件は、A、Bが共謀し、外国犬を不当な価格で購入させられたことに気付いて売買代金の返還等を要求してきた被害者(以下、V1といいます)が疎ましく思い殺害を決意。
Aは硝酸ストリキニーネを詰めたカプセルを栄養剤と偽ってV1に飲ませ毒殺しました。
殺害後、Aは、証拠隠滅を図るため、ペットショップの役員(以下、Cといいます)に「お前もこうなりたいか?」「子供は元気か?」などとCやその家族に危害を加えかねないことを言って脅迫し、死体をC方に運び込ませています。
そして、Aは自ら被害者の死体を原型をとどめない程度に解体。Cに指示して、骨や所持品などを焼却させるなどしています。
第二事件
第二事件は、A、Bが第一事件の犯人であることを薄々察知して財産的な要求を繰り返してきた暴力団組員(以下、V2といいます)を殺害することを決意。
A、Bが共謀し、V2及びその付き人(以下、V3といいます)もろとも、硝酸ストリキニーネを詰めたカプセルを栄養剤と偽って飲ませて毒殺しました。
殺害後、A、B、Cの3人はC方でV2、V3の死体を解体し、AとCがV2とV3の骨や所持品を焼却しています。
第三事件
第三事件は、殺害についてはAが単独で行ったものです。
Aはお金に窮していたところ、ペットショップ従業員の主婦(以下、V4といいます)に出資話を持ち掛けていました。
しかし、Aは、いずれその話が嘘であることが露見し紛議が発生するばかりではなく、過去、V4に販売した犬の代金の返還も求められかねないことを危惧し、V4を殺害することにしました。
AはV4に出資話を持ち掛けた上でお金をだまし取り、硝酸ストリキニーネを詰めたカプセルを服用させて毒殺しました。
殺害後、Aは、Cに指示してC方まで遺体を運ばせ、C方でV4の死体を解体しました。解体後は、骨や所持品などすべて焼却しました。
遺体なき殺人
一連の事件で特筆されるのは、Aが「ボディを透明にする」と呼んだ残虐な遺体の処理方法である。
被害者4人の遺体はC方の風呂場で解体された。
骨・皮・肉・内臓に分けられた上、肉などは数センチ四方に切断。骨はドラム缶で衣服や所持品と共に、灰になるまで焼却され、それらは全て山林や川に遺棄された。
Aは、遺体を埋めても骨は残ることから、焼却してしまうことを考案。
しかし、遺体をそのまま焼くと異臭が発生するため、解体して骨のみを焼却したという。燃え残りが出ないよう、1本ずつじっくり焼く念の入りようであった。
このことについてCは、Aが『面白い・楽しい』と供述したと話している。
発覚の経緯、判決結果
一連事件は、V1の家族から捜査機関へ捜索願が提出され、その後、様々な経過を経てCが逮捕され、Cが一連の犯行に関与したことを自供したことにより端を発しています。
逮捕後、AはV1、V2、V3、V4に対する殺人、死体損壊・遺棄、BはV1、V2、V3に対する殺人、死体損壊・遺棄、CはV1、V2、V3、V4に対する死体損壊・遺棄で起訴されました。
第一審の浦和地方裁判所でA、Bに対し死刑判決、Cに対して懲役3年が言い渡され、A、Bは最高裁判所まで、Cは東京高等裁判所まで上訴しましたが結果は変わらず判決は確定しています(A、Bは2009年確定、Cは1996年確定)。
2011年には、本件をもととして映画「冷たい熱帯魚」が製作されている。