エリート一家に何が…。兄妹同士の喧嘩の延長戦で殺人事件に発展か。
渋谷妹バラバラ殺人事件とは、2007年(平成19年)1月3日に東京都渋谷区で発生した殺人・死体損壊事件。医学部を目指し浪人生だった武藤勇貴(当時21歳)が、妹の短大生亜澄さん(当時20歳)を撲殺し遺体をバラバラにした惨い事件です。
犯行の動機や経緯
2006年12月30日、歯科医師の両親と長男が帰省中で、東京都渋谷区の自宅には武藤勇貴と亜澄さんのふたりきりとなっていました。ふたりは家族や生活態度などについて揉め、亜澄さんの「ゆうくんには夢がないね」という言葉に逆上し、武藤勇貴は亜澄さんの頭を木刀で殴りつけたのです。
亜澄さんは頭から出血。「寒い」と訴えていましたが、揉め事は1時間に渡り続けられたとのことです。その後、タオルで亜澄さんの首を絞めて殺害。「本当に死んだか不安になった」として浴槽に水を溜め、頭を沈めるなどの行動にも及んでいます。
さらに、のこぎりで首や腕、脚の各関節部分を中心に15ヵ所をバラバラに切断しました。切断遺体には、頭髪も切られ、乳房までもが切断され、遺体の一部はディスポーザーで処理するなど、サディスティックな内容がメディアで報じられ、世間に衝撃を与えました。
父親は外出先から23時頃帰宅。事件には気付くことなく武藤勇貴を予備校へ送ってから帰省しています。この時、父親には「友人から貰った鑑賞魚のサメが死んだので、臭いがしても部屋を開けないで」と言ったという。
事件発覚は、2007年1月3日午後9時頃。母親が自宅3階の部屋で袋詰めの亜澄さんの遺体を発見しました。父親が警視庁代々木署に届け出し、1月4日に武藤勇貴を死体損壊容疑で逮捕。1月15日、殺人の容疑で再逮捕しました。
判決とその後
2008年5月12日、東京地方裁判所で行われた公判で、検察側は「完全責任能力があった」として懲役17年を求刑。
5月27日の公判では、被告人が多重人格で死体損壊時は別人格であったと主張し、認められ、殺人に関しては懲役7年、死体損壊については無罪の判決が下されました。
しかし、2009年4月28日、被告人の多重人格を否定し、死体損壊の責任能力を認め懲役12年を言い渡したのです。5月9日、弁護側が最高裁判所に上告。9月16日に上告を棄却し、懲役12年が確定しました。
被害者の亜澄さんは女優という夢を目指しているさなかに命を奪われました。しかも家族に。武藤勇貴被告は、受験のストレスを抱えており、自由奔放な妹に対しての不満と憧れが突発的に殺人へと導いてしまったのでしょうか。
親の期待に応えようとしてきた武藤勇貴被告。家族に徐々に生じていた歪みを修復することはできなかった。親子の在り方を考えるきっかけにもなった事件といえます。