事件・事故

柴又三丁目女子大生殺人放火事件

火災現場から発見された女子大生の遺体。未だ犯人逮捕に至らず。

1996年9月9日夕方、東京・葛飾区柴又の民家で火災が発生した。

火は約2時間後に消し止められたが、2階の両親の寝室から、この家に住む上智大4年生の次女・小林順子さん(当時21歳)の遺体が発見された。

順子さんは「将来、マスコミ関係の仕事をしたい」という夢のため、2日後から、シアトルの大学に留学する予定であった。

2003年5月9日、犯人逮捕につながる情報提供者に500万円の懸賞金が支払われるこが発表され、また、似顔絵が書かれたポスターが制作されるとともに、朝日新聞朝刊に75万枚のチラシが折り込まれるなど、犯人逮捕への情報提供が呼びかけられた。

事件から10年後の2006年9月には、両足の縛り方が「からげ結び」という特殊な方法だったことや、現場に残されたマッチ箱の残留物から家族以外のDNAが発見されたことなどが公開された。

2014年9月には、遺体にかけられた毛布に付着していた血液と、マッチ箱に付着した血液のDNA型が一致したことが報じられた。(付着していた血液の血液型はA型である)

2017年には1年間の期限付きで捜査特別報奨金300万円が支払われることとなり、謝礼金の総額は800万円となったが、現在に至るまで犯人逮捕には至っていない。

事件の経緯と詳細

事件現場と遺体の状況

1996年9月9日午後4時39分頃、東京都葛飾区柴又3丁目の住民から「隣家で火事が起きている」という通報があった。

燃えていたのはモルタル2階建ての会社員・小林賢二さん(当時50歳)宅で、火は通報で駆け付けた消防隊によって、約2時間後となる午後6時頃に消しとめられたが、小林さん宅は全焼、両隣の家の壁も焼いた。

消防隊が調査に入ると、2階の6畳間で次女の上智大学生・順子さん(当時21歳)が遺体となって発見された。

順子さんが殺害されていた6畳間は2階の3部屋のなかで一番道路側にあり、両親が寝室に使っていた部屋だった。順子さんの部屋は3部屋の真ん中の4畳半で、その隣りが長女(当時25歳)の部屋だった。

順子さんは白い横シマのシャツに黄色の短パンという姿で横向きに寝かされており、着衣に乱れはなかった。

遺体の上半身には布団がかけられ、布団の縁が体の下にはさみこまれるようにされる形で、布団で巻かれたような状態になっていた。

口と両手には粘着テープが巻かれ、足はストッキングで縛られていたが、暴行されてはいなかった。顔や右首など計6ヶ所に刺し傷があったが、凶器となる刃物は発見されなかった。

順子さんの足を縛っていた粘着テープは、当初、順子さんが留学の荷造りのために使っていたものと思われたが、すでにアメリカ送っていた荷物を調べたところ、別の種類のものであることがわかった。これは貴重な遺留品だが、ありふれた品であり、これによって購入ルートなどを探ることはできなかった。

司法解剖によると、死因は右頚部静脈切断による失血死であると判明した。

肺から煤(すす)などが検出されなかったため、殺害された後に証拠隠滅のために火をつけられたものではないかと考えられている。

遺体の首には、主に右側に集中して6ヶ所の刺し傷があり、幅6cm、深さ4cmに達するものもあった。

また、両腕には争った際にできる刃物傷(防御創)が複数あり、傷の形状から、凶器は刃渡り約8cm、刃幅約3cmの小型ナイフのような形状の鋭利な刃物であるとみられた。

さらに、玄関付近にはマッチ箱が残されていて、箱の内側には家族のものではない血痕が残されていた。犯人は順子さんの抵抗にあい、負傷したものとみられる。

ちなみに、血液型はA型であると判明しており、小林さん家族にA型の人物がいなかったことから、これが犯人のものであると断定された。

火元は1階の東側の6畳和室(順子さんの倒れていた2階6畳間は西側)の押し入れと、1階のパソコンであるとみられ、順子さんが発見された部屋にあった預金通帳や、隣室にあった順子さんのバッグの中にあった約14万円の現金やトラベラーズチェック(旅行小切手。海外渡航に際して発行される外国旅行者向けの小切手のこと)は手つかずのまま残されていた。

その他、遺留品はほとんど残っておらず、凶器も発見されていない。また、焼け残ったドアやドアノブからも指紋は検出されなかった。

この日、順子さんの母親は午後3時50分頃、パートに出かける際に家の鍵を開けたまま出ていたが、出火後には何故か玄関は施錠されていた。

事件当日の経緯

小林さん一家は両親と長女、順子さんの4人暮らし。当日は賢二さんは福島に出張中、長女も中央区内の病院に勤務中だった。

午後3時50分頃、母親(当時50歳)が美容院のパートに出る際、順子さんに「行ってきます」と声をかけた。それに対して順子さんは「雨が降っているけど、自転車で行くの?」と聞いた。

これが親子最後の会話だったという。

母親は家に娘がいるので、鍵はかけなかった。

つまり、それから近隣の住民の通報があった4時39分まで、わずか50分の間に、順子さんは殺害され、火をつけられたことになる。近所の人が4時15分頃に小林家の前を通ったが、この時は出火の気配はなかったという。

順子さんは上智大学の外国語学部英語学科の4年生で、ゼミでは「東南アジア文化」を専攻。学校での成績は優秀で、留学のための選考試験でも上位の成績をおさめており、2日後にはアメリカのシアトル大学に留学する矢先の出来事だった。

大学1年生の頃から、中学生に英語を教えるサークルに所属し、また、家庭教師の他にも地方放送局でアルバイトをしており、明るい性格で、人に嫌われるような人物ではなかった。

事件前日、順子さんはファミリーレストランで中学時代の同級生の悩みの相談にのっており、帰宅したのは明け方だった。

不審な男の目撃情報

事件前や当日、柴又3丁目付近では不審な男が目撃されている。

事件当日(3件の目撃情報)

➀午後4時半頃、白い手袋をした20~30代の男が小林さん宅から柴又駅に向かって、傘もささずにびしょ濡れで走り去った。雨とは言え、8月の蒸し暑い日に手袋をするのは目立つ。

②午後4時頃、中年男が黒い傘をさして、ショルダーバッグを持って近くに立っていた。この特徴の男は、朝に隣駅の京成高砂駅近くで、「柴又3丁目」への行き方を主婦に尋ねていた。

➂50~60代の男が小林さん宅の前に立っていた。

事件の数日前(2件の目撃情報)

➀20代後半とみられる男が、ライターを持って現場付近をうろついていた。男は大声で叫んだり、軍歌を歌って、自転車で去っていった。

②事件3日前の正午過ぎ、40歳ぐらいの男が、小林家の近所の何軒かに入ろうとして、家人に追い帰された。男は門前でライターをカチャカチャいじっていた。

不審な点
  1. 事件当日、母親は鍵をかけないで家を出たが、火災後玄関のカギはかけられていた。しかし、ドアノブからは指紋は検出されなかった。
  2. 順子さんの倒れていた2階6畳間には預金通帳があり、隣りの順子さんの部屋のトラベラーズチェック・現金(計14万円)などは手をつけられていなかった。
  3. 賢二さん用のスリッパが、順子さんの倒れていた部屋の前に揃えて置かれていた。普段は1階でしか履かないものであり、犯人がそこまで履いていった可能性がある。

以上のことから、当初は物盗りではなく怨恨であるという可能性が高いと見られた。

しかしながら、前述の通り順子さんの評判は良く、学校内での友人関係、アルバイト先、留学センターなどでも、彼女が恨みをかうような事はなかった。

そのため、順子さんを一方的に好いていた「ストーカー」による犯行も想定され捜査が進められたが、警察が捜査用語として「ストーカー」という言葉を使ったのはこの事件が初めてのことであった。

推測された犯人像

犯行に要した時間は、母親が外出した午後3時50分から、出火した午後4時35分までの約45分間。この時間帯は人目に付きやすい夕方の時刻であることから、事前に家の状況を把握していた可能性がある。

両足を縛っていたストッキングは「からげ結び」という特殊な結び方であった。この「からげ結び」という結び方は、造園業者が竹垣の竹を固定する時や、和服着付けなどで多く使用される結び方である。このことから、犯人は業務でこの結び方を熟知していた可能性が高い。

出火元が1階にあるパソコン付近であったことから、通信記録やPC内のデータに犯人を示す手がかりとなる情報が残っていた可能性がある。

その後

2003年5月9日、犯人逮捕につながる情報提供者に500万円の懸賞金が支払われるこが発表され、また、似顔絵が書かれたポスターが制作されるとともに、朝日新聞朝刊に75万枚のチラシが折り込まれるなど、犯人逮捕への情報提供が呼びかけられた。

事件から8年が経過した2004年9月9日、亀有署捜査本部は事件直前に現場で目撃された不審な男の似顔絵を公開した。この男は事件の45分前、雨なのに傘もささないで小林家の表札を見つめていた男で、30代後半とみられ、身長約160cmほど、黄土色のレインコートに黒っぽいズボンを履き、「ひ弱なサラリーマン風」だったという。

2006年1月、新宿署に窃盗容疑で逮捕された男が「(柴又事件は)自分がやった」と犯行をほのめかす自供をしたが、続報がないため、虚偽の自供であったとみられる。

事件から10年後の2006年9月には、両足の縛り方が「からげ結び」という特殊な方法だったことや、現場に残されたマッチ箱の残留物から家族以外のDNAが発見されたことなどが公開された。

2014年9月には、遺体にかけられた毛布に付着していた血液と、マッチ箱に付着した血液のDNA型が一致したことが報じられた。

2017年には1年間の期限付きで捜査特別報奨金300万円が支払われることとなり、謝礼金の総額は800万円となったが、現在に至るまで犯人逮捕には至っていない。

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