1989年7月24日に北海道の大雪山系で起こった遭難事件である。
事件の経緯(詳細)
1989年7月24日午後、大雪山系で黒岳から旭岳に向かう途中で行方不明になったと通報があり、京都の登山者男性2名を捜索していた北海道警察のヘリコプターが、登山ルートから外れた旭岳南方の忠別川源流部で、シラカンバの倒木を積み上げて造られたSOSという文字を発見。このSOSの文字は上空から見てもすぐに発見できるほどの大きな文字だった。通報があり捜索していた行方不明の登山者2名はそこから2~3km北で間もなく無事救助されるという、別の遭難事件から偶然発覚した遭難事件である。
北海道警察はSOSの文字も無事に救助された2名が造ったものと見て、救助後に事情を聞いたところ、2名とも「それについては知らない」と話した。別の遭難者がいたと見た北海道警察は、翌日改めてヘリコプターを派遣し、調査を進めた。
その結果、動物により噛まれた痕のある人骨の破片と、「SOS」と叫ぶ若い男性の声が記録されたカセットテープレコーダーなどが収容された。人骨は旭川医科大学で鑑定され、行方不明者のリストや遺留品などから1984年7月頃に遭難した愛知県江南市の会社員男性(当時25歳)と特定された。
当初人骨は血液型がO型の女性の骨と鑑定結果が出されたため、カセットテープに救助を求める男性の声が入っていた事実や、収容された人骨は1名分と見られたこと、女性の物に該当するような遺留品が現場になかったことなどにより、一時捜査や報道に混乱を来した。
男女で入山していたのではないかという憶測も流れ、北海道警察は再度現場の捜査を行ったが、複数名の人骨はなかった。1989年7月28日、旭川医科大学にて再鑑定を行った結果、血液型がA型の男性の骨と確定された。
遺留品のカセットテープレコーダーには遭難した男性と見られる人物の叫び声で次のような内容が吹き込まれていた。
「崖の上で身動きとれず。SOS。助けてくれ。崖の上で身動きとれず。SOS。助けてくれ。場所は初めにヘリに会ったところ。ササ深く上へは行けない。ここから吊り上げてくれ」
途中で二度切れてはいたが、録音時間は全部で2分17秒だった。被害男性は聞いている者がいないのになぜこのような事を絶叫し遺したのかは不明である。一つの推測としては、テープレコーダーに大声で録音したものをボリューム最大で再生すれば、地声による「SOS」よりも誰かの耳に止まる可能性が高いと考えたのではないかという物がある。
また、男性の声がヘリコプターに言及しているため、遭難して崖の上にいる状況でヘリコプターが飛んでいるのを見て声を出して動いている際、バッグの中で偶然カセットテープレコーダーの録音スイッチが入ったため声が録音されたのではないか、との説もある。
さらに、残されていた文字の一辺は5m以上あり、後日、発見の数年前に撮影された空中写真にも写っていたことが確認されている。文字はシラカンバの大きな倒木を3本以上積み重ねて造られており、かなりの重労働であったものと推定される。SOSの文字は遭難した男性が造ったものと推測されたが、その場合遭難後になおもそのような重労働が可能な体力が残っていながら、男性が自力での移動・脱出に至らなかった点については不明とされた。
事件の不可解な点
何故カセットテープに自分の声を録音したのか
SOS遭難事件で残された謎には、なぜカセットテープレコーダーにSOSを録音したのかという点が挙げられる。SOSをカセットテープレコーダーに録音したからと言って、そのテープを誰かに聞いてもらえなければ意味がない。
この謎には、カセットテープレコーダーに大声で録音したSOSを最大音量で流すことで、誰かに聞こえる可能性を探していたという真相があるのではないかと推測されている。
また、SOS遭難事件のもう一つの真相には、男性が捜索に来たヘリコプターを見つけてSOSを絶叫していた際に、偶然にもカセットテープレコーダーのスイッチが入り、録音されたのではないかとも推測されている。
SOS遭難事件で白骨遺体となって発見された男性は、カセットテープレコーダーに録音されていた内容からかなりのアニメ好きと推測された。SOS遭難事件で発見された男性がSOSの文字を作ったのは、手塚治虫のアニメ「鉄腕アトム」の中で、月面で遭難した際に流木でSOSの文字を作ったシーンがあり、これが影響していたのではないかとも言われている。
何故下山しなかったのか
SOS遭難事件の遭難者が作ったと思われるSOSの文字はおよそ5m以上あるシラカンバの倒木を3本以上積み重ねて作られており、これはかなりの体力がいる作業だったと考えられる。
またSOS遭難事件で発見された男性は鑑定の結果、骨折していたことが判明している。繰り返しになるが、遭難して助けを求めていた男性にこのような重労働をする体力が残っていたのなら、なぜその力で下山を試みなかったのか不明である。
何故5年間ものあいだ発見されなかったのか
SOS遭難事件の男性が遭難したのは1984年7月頃で、発見されたのは5年後の1989年7月25日でした。
またSOS遭難事件が発覚する数年前の航空写真には、男性が作ったと思われるSOSの文字が写っていたことも判明している。遭難事故が多いと言われているこの大雪山系で、なぜ5年間も男性は発見されなかったのかというこの謎の真相は、現在も解明されていない。
何故、遺体の場所と録音内容の場所が違うのか
SOS遭難事件で残された謎には、白骨遺体が発見された場所とカセットテープレコーダーに録音された内容に相違があるという点がある。男性の遺体が発見されたのは湿原でしたが、テープに残された音声では崖の上にいることが分かっている。
またテープには身動きが取れないという音声が残されていたことからも、自ら移動したとは考えられない。さらには、発見された湿原の付近には崖は見当たらず、謎が深まった。