事件・事故

東大技官タリウム殺害事件

無味無臭の恐るべき毒物・タリウムで同僚技官を殺害、自殺の噂を流した犯人

1991年2月14日、東大付属の動物実験施設に勤める男性技官・中村良一さん(38歳)が病院で死亡した。中村さんは前年から不調を訴えており、遺体からは「酢酸タリウム」が検出された。

2年半後、同僚技官・伊藤正博(当時44歳)が殺人容疑で逮捕された。

事件の経緯と動機

1991年2月14日午後5時59分、東京大学医学部付属動物実験施設(文京区)の技官・中村良一さん(38歳)が、病院で腎不全のため死亡した。

中村さんは前年12月13日に、仕事を休んで府中市の整形外科の診察を受けていた。

中村さんが訴えるには、両手足の痺れがひどく、身体が激しく痛むというらしく、医師は多発性神経炎と診断した。

中村さんはその後、都立神経病院に転院したが、年が明けて容体が悪化していた。重金属中毒の症状を起こしていたのである。

中村さんが家族に「毒を飲まされたようだ」と言い残していたこともあって、医師は念の為警察に通報。司法解剖された中村さんの臓器からタリウム化合物が検出された。

タリウムとは

タリウムは1861年にイギリスのウィリアム・クルークスとラミーによって、硫酸工場の鉛室の泥中で発見された。

重金属の毒で、鉛や水銀に近いが毒性はさらに強い。色は銀白色であるが空気にふれるとすぐ酸化されて灰色となる。致死量は0.2~1g。無味無臭で水に溶けやすい。飲んでもすぐには症状は出ず、だいたい数日から10日後に、手足に痺れや痛みを生じさせる。また神経炎、神経痛、肺炎、発疹チフス、アルコール中毒などと間違われやすいという恐るべき毒物である。

かつて日本では硫酸タリウムを砂糖、でん粉、グリセリン、水でこねて殺鼠剤に使われた。また女性の除毛剤としても売られていたこともある。

1970年代に欧米で使用禁止となったタリウムは、日本でも日常的に使われることはなくなり、現在では医局の試薬、特殊ガラス・人工宝石の製造などに使われる。

未遂事件

中村さんは農業科の高校から、動物飼育会社を経て、この施設に勤務していた。技官と言っても、仕事の内容は犬100匹の世話と、実験の後片付けである。最初はアルバイトだったが、動物好きの中村さんにとっては良い仕事で、後で正式に採用された。

勤めていた実験動物施設では、以前にもコーヒーの缶にタリウムが混入されるということがあった。この施設では滅菌用に常備されており、さらに酢酸タリウム(1瓶25g入り)が紛失していることもわかった。

しかし、この時は「悪質なイタズラ」であるとして、事件化されることはなかった。

ちなみに、職場には中村さんの他にもう1人動物の世話をする技官がおり、事務職、研究職、施設長(教授)、アルバイトを含め十数人が出入りしていた。

内部の人間なら誰でもタリウムを混入するチャンスはあったのだが、当初は中村さんの自殺自演という噂があった。

中村さんが「入退院を繰り返せば入院保険金が入る」と話し、保険金目当てで飲むうちに、量を間違えたのではないのかという噂話を、犯人の伊藤自身が流していたのだった。(逮捕後の捜査で判明)

伊藤正博、逮捕へ

事件から約2年半後となる1993年7月22日、同僚の伊藤技官(当時44歳)が殺人容疑で逮捕された。

鑑定に出していた施設保管のタリウムと、遺体から検出されたタリウムの成分比が一致したことを受けての逮捕だった。

伊藤は日本獣医畜産大学卒業、東大医科研、国立予防衛生研などで家畜の微生物の研究を経てこの施設に採用された。以前の施設長に誘われたからで、ここで動物実験施設でマイコプラズマの分離に関する研究プロジェクトに入った。この時にタリウムについて熟達している。だがその教授が退職し、別の教授が赴任すると、伊藤は次第に研究よりかは実験動物の管理を任されるようになった。

ちなみに、伊藤は1975年4月にこの施設に採用されており、中村さんがアルバイトとして入ってきたのはその半年後のことである。

伊藤は逮捕後、

「後輩のくせに、仕事のことでいくら注意しても無視するので、長年、鬱積したものがあった」

「長年仲が悪く、10年ほどまえからタリウムを飲ませるチャンスを狙っていた」

と、動機について供述した。

伊藤は中村さんの先輩であり、年上でもある。同じ技官という立場だが、獣医であるというプライドもあった。

2人とも勤務態度は真面目であったが、中村さんの方は職場の行事には一切参加せず、挨拶もろくにしないことがあるなど、人付き合いの方に問題があったという。伊藤はそうした態度を度々注意していたのだが、そのたび無視された。

また中村さんが施設を事務所がわりに中古車の仲介アルバイトをしているのを知り、「公務員の副業は禁じられている」と忠告したが、これもことごとく無視され、結局、伊藤は上司に知らせたのだが、このことで2人の関係はさらに悪化した。

判明した犯行の詳細

伊藤は1985年頃から中村さんのタオルにタリウムをふりかけるなどしていた。

そして1990年春頃から、中村さんの飲みかけの茶碗などにタリウムの粉末を入れたが、異臭を気づかれ、ことごとく失敗した。

同年4月、中村さんは「コーヒー豆の缶に、何か白い粉が入っています」と施設長に見せた。この粉がタリウムとわかって大騒ぎとなったが、前述のように、誰も通報などはせず、「悪質ないたずら」として片付けられた。

この一件以降も、伊藤はタリウム混入を企て続けたが、中村さんの方が疑心暗鬼になり、食事や飲み物にも気を使うようになり、部屋の鍵も取りつけた。

しかし、1990年12月中旬、伊藤はそれまでの経験を生かして巧妙に、タリウムを水に溶かして無味無臭の水溶液を入れた。そしてそれを飲んでしまった中村さんは欠勤し、そのまま入院生活となった。

伊藤にとっては、10年来の憎しみがようやくはらされた瞬間だった。さらにタリウム入りのお茶の缶を中村さん専用の冷蔵庫にいれておくなど、自殺に見せる偽装工作も行った。

逮捕まで2年半あったものの、伊藤は当初から疑われていた。仲が悪かったことも職場の人の知るところであったし、タリウムを扱うのは大抵、伊藤だったからだ。

東大施設という事件の舞台のわりに、安易な計画、軽々しい動機の犯行だった。

判決とその後

1995年12月19日、東京地裁、伊藤に懲役11年の判決。

1996年11月21日、東京高裁、控訴棄却。

2000年6月8日、最高裁、上告棄却。

2002年4月15日、中村さんの遺族が約1億円の損害賠償を求めた訴訟で、東京地裁・山名学裁判長は、「東大側の安全管理に過失があった」として、6684万円余を支払うよう命じた。

2005年、静岡県内の女子高生が、母親にタリウムを飲ませるという事件が起こった。日本犯罪史上、福岡大学病院事件、東大技官事件に次いで3例目のタリウム事件だった。

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さらに、2014年には、女子大学生が同級生の友人らにタリウムを飲ませ、「(前述の静岡の少女について)タリウム少女も好きですよ」と供述した事件も発生している。

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