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エド・ゲイン

エド・ゲインの生い立ち

20世紀のアメリカ犯罪史上に名を残す殺人鬼、エド・ゲインは、歪んだ性的執着の持ち主だった。彼の人格形成には、母親の存在が大きく影響している。

エドが誕生した1906年8月27日当時、母オーガスタは、ウィスコンシン州バーノン郡で、食料雑貨店を経営していた。

その後店を売却、街の中心から離れた場所にある農場を購入し、アルコール依存症の夫ジョージとエドの兄ヘンリー、そしてエドの4人で移り住んだ。

この移住は、外部(悪)から子どもたちを切り離すためだった。

独善的なルター信者だったオーガスタは、2人の息子に対し「男性器は悪の象徴」「性交渉は罪、女(堕落の象徴)に指一本触れるな」と、歪んだ教育を徹底していく。

常に夫を罵り、息子たちには夫のような男になるなと言い続け、夫の死を祈ることを強要するという倒錯ぶりだった。

ハリーは母の教えに疑問を持ちながら成長したが、エドは母を崇拝した。

絶対的な存在だったオーガスタが1945年に亡くなると、エドは歪んだ性的執着を満たすような行動に出る。夜になると地元の墓場を訪れ、墓を掘り起こして遺体を盗み出した。

盗んだ遺体は皆、母に似た中年女性ばかりだった。

異様性を放つ猟奇的犯罪:殺人から人体の解体、加工まで

1957年11月16日、地元で雑貨店を営むバーニス・ウォーデン(57)が行方不明になった。ウォーデンが接客した最後の客であり、別件で逮捕されているゲインの自宅を家宅捜索をした警察は、胸部を裂かれ、解体された動物のように吊るされている、首のないウォーデンの死体を発見する。

更に警察は、ゴミであふれかえる室内に置いてある、異様な食器や家具に気づく。ランプシェードは人間の皮膚で作られていた。窓の日除けに使われたのは、引きちぎられた人間の唇だった。

乳首や乳房で作られたベルトやベストも発見された。ゲインは遺体を墓場から盗み、皮膚をなめして日用品を作ったことを認めた。

地元のバーの女主人、マリー・ホーガンは、1954年から行方不明になっていた。殺害を自供したゲインの自宅には、ホーガンと見られる皮膚や、化粧が施された干し首が発見された。

裁判と判決

第一級殺人の罪に問われたゲインは、1957年11月21日に行われた罪状認否で、統合失調症を理由に無罪を主張する。

精神異常と認められたゲインは、ウィスコンシン州ウォーパンにある中央病院に収容された。

その後医師が、ゲインの精神状態は裁判に耐えうるほど健全である、と判断したため、1968年11月7日に裁判が行われた。

ゲインの精神状態が争点となったが、最終的には慢性的な精神病を患い、回復の見込みがないとの判断に至る。

無罪となったゲインは、ウィスコンシン州マディソン市にあるメンドータ精神病院に収容され、そこで一生を過ごした(1984年7月26日死去)。

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