海外・シリアルキラー

ウィリアム・ハイレンズ

ウィリアム・ハイレンズの生い立ち

1940年代にシカゴを震撼させた連続殺人事件の犯人、ウィリアム・ハイレンズは、窃盗の常習犯だった。早い時期からフェティシズムに目覚め、猟奇的なシリアルキラーへと移行した。

ウィリアムは1928年11月15日、イリノイ州リンカーンウッド村に住む、ジョージとマーガレット・ハイレンズ夫妻の間に誕生した。一家は貧しく、夫婦の間には口論が絶えなかった。

マーガレットは、性行為を忌み嫌う禁欲的な価値観を、息子に押し付けた。やがてウィリアムは女性の体よりも下着に興味を持ち、下着泥棒を繰り返すようになる。盗んだ下着を身に着け、オーガズムを得ることもあった。

ウィリアムは自分の中に、ジョージ・ムアマーンという別の人格を作り出していた。後に逮捕され事件の詳細を語ったのは、ウィリアムではなく「ジョージ」だった。

リップスティック・キラーの誕生

1945年6月5日、シカゴ・北ケンモア通りのアパートで、ジョセフィン・ロス(43)の遺体が発見された。ロスの顔にはドレスが巻き付けられ、全裸のまま自宅の浴室に放置されていた。喉や首には複数の刺し傷があったが、レイプの痕跡は認められなかった。

同年12月10日、フランシス・ブラウン(30)が自宅で殺害された。ロス同様、ブラウンも顔をパジャマで覆われ、浴室で息絶えていた。喉にはナイフが突き刺さったままだった。しかし今回は壁に

「(殺人を)コントロールできない、誰か捕まえてくれ」

と、口紅でなぐり書きされたメッセージが残されていた。マスコミは事件の犯人を「リップスティック・キラー」と呼ぶようになった。

年が明けた1946年1月7日、6歳のスザンヌ・デグナンが、自宅から連れ去られる事件が発生する。寝室の壁に残されていた、身代金を要求する脅迫文の筆跡が、ブラウンの件と酷似していたため、リップスティック・キラーの犯行とみなされた。警察は後日、事件現場付近の下水道やマンホールなどに捨てられていた、デグナンのバラバラ遺体を発見した。

逮捕から判決まで

1946年6月26日、17歳のハイレンズは窃盗の容疑で逮捕された。警察は、ハイレンズのスーツケースから大量の盗品とともに、「ジョージ」と名乗る人物から、ハイレンズにあてた手紙を発見した。当初ハイレンズの相棒と疑っていた警察は、後に「ジョージ」が、ハイレンズの別人格と言うことを知る。ハイレンズは、一連の事件は「ジョージ」によるものだと主張した。

1946年8月7日に3件の殺人事件で起訴されたハイレンズは、同年9月5日、すべての事件で終身刑を受け、ステートビル刑務所に収監された。

判決後は一転して無罪を主張し続けたハイレンズだったが、判決は覆ることなく、服役中の2012年3月5日、83歳の生涯を閉じた。

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