事件・事故

岡山・金属バット母親撲殺事件

いじめ被害者の少年が学校で殴打事件を起こし、帰宅後母親を殺害、逃走した15日間

2000年6月21日、岡山県立邑久高校で1・2年生の野球部員4人が金属バットで殴られるという事件が起こった。

1人は頭部にけがをして重傷。残る3人も肩や腕などにけがをした。その後、殴ったとされる同校3年の少年A(当時17歳)は自宅に戻り、母親を金属バットで殴打して自転車で逃亡。

夕方、帰宅した父親が倒れている母親を発見、母親はすぐに病院に運ばれたが、既に亡くなっていた。

逃走は15日間にわたって続いたが、トラック運転手からの通報を受け、7月6日、秋田県で発見・逮捕された。

事件の経緯と動機

事件前日のトラブルと「闇狩人」

事件前日の2000年7月20日、Aは後輩部員から夏の甲子園の地方大会が始まるのを前に「3年生はみんな(頭髪を)丸刈りにするのに、先輩はしないのか」と詰め寄られ、激しく反発した。

Aはまじめすぎたためか、日頃から柔道やプロレスの技をかけられたり、掛け声を真似されたり、練習中にボールをぶつけられるなどして、後輩にからかわれていたという。

さらに準レギュラー選手だった少年と後輩部員との正選手の座をめぐる確執があったとの情報もあり、不満が蓄積されていたとみられる。

同20日の夜、Aは日記に「明日、狩りを決行する」と犯行予告とも取れる不気味な文章を書き記しており、また、事件の約1か月前には、架空の登場人物が後輩部員を成敗する内容の「闇(やみ)の狩人」と題する小説を記していた。

小説は、自宅から押収された大学ノート3枚にわたって書かれており、鉄の棒で後輩の頭を殴り殺す内容。日記の「狩り」という表現はここから出たとみられる。

ちなみに、この小説の設定は、1987年から月刊少年ジャンプに連載された漫画「闇狩人」に酷似している。「闇狩人」は、一見おっとりとした漫画家志望の高校3年生が、実は「闇狩人」という裏の顔を持ち、依頼を受けて復讐を代行、定規やペンを武器に次々と標的を殺していくという内容である。

事件当日の経緯

2000年6月21日、野球部の練習は3時40分に始まったが、Aは補習のため4時30分頃に遅れて参加した。

この時、2年生の部員らが1年生に「丸刈りにしろ」と声を掛けていたのを見てAの不満が爆発。

突然、2年生部員に背後から金属バットで殴りかかった。2年生部員を殴ったAはすぐにその場を逃げようとしたが、これを制止しようとした他の3人も殴りつけた。

殴られた1、2年生の4人のうち1人は頭部にけがをして重傷、残る3人も肩や腕などに怪我をした。このとき重傷を負ったのが、前述の通り確執があったとされる後輩部員であった。

目撃者によると、Aは学校からユニホーム姿のまま逃走したという。

高校を出たAは長船町にある自宅に戻ると、居間でテレビ見ていた母親(当時42歳)を、いきなりバットで殴りつけた。

その後、午後5時40分頃、仕事から帰宅した父親が倒れている母親を発見。母親はすぐに病院に運ばれたが、このとき既に亡くなっていた。

15日間の逃走劇、そして逮捕へ

Aの逃走中には、NHKで「A、遺体で発見」というテロップが番組内で流れたり、四国88ヶ所巡りの懺悔の旅をしているとの情報が流されるなど、誤報が相次いだ。

そんな中、逮捕のきっかけとなったのは山形県内を走行していた同県酒田市内のトラック運転手(当時24歳)の通報であった。

7月6日正午頃、運転手の携帯電話から酒田署に「山形県遊佐町の国道7号の秋田県境付近のバイパスで、黒の自転車に乗った中学生風の男を見つけた。今は秋田方面に向かっている」との通報があった。

さらに同運転手は「別の運転手が5日に新潟で見かけたと話しており、運転手仲間で【あれは岡山の事件で手配されている少年ではないか】と噂になっている」と話した。

酒田署は県境付近で少年を捜索したが見つからず、約30分後、再び運転手に連絡を取ると「仲間の無線から、少年が県境を越えて秋田県象潟町にいるようだ」と話したため、秋田県警に通報。秋田県警の捜査員が同日午後4時頃、秋田県本荘市内で自転車の少年を発見、本荘署に任意同行した。

少年は名前を聞かれると「はい」と答え、その後自分から住所を話した。さらに指紋も一致したため、後輩の殴打に対する殺人未遂容疑などで逮捕された。

発見された時、Aは黒のトレパンに青の長袖シャツ、紺色のリュック姿で、逃走時とは異なる黒い自転車に乗っており、汗まみれで無精ひげが生え、疲れた表情だったという。

6日午後3時すぎ、国道7号で、Aと遭遇した目撃者は彼の印象について「自転車をこぐ姿が異常だった。脇目もふらずに、前だけを見てがむしゃらにこいでいた」と話している。日に焼けた顔は真っ黒で、青色シャツは何度もかいた汗で茶褐色になるほど薄汚れていたという。

計15日間にわたっての逃走であったが、Aは兵庫県西部付近から日本海側に抜け、北陸地方を経由して東北地方を北上し、約1000kmにも及ぶ道のりを自転車だけで移動した。

なお、逮捕時の自転車は逃走当初のものと違っており、少年は「(途中で)盗んだ」と供述。乗りつぶすたびに盗み、逮捕までに数台を乗り継いでいたものとみられる。目的地については「北海道に行こうと思った」と話したという。

所持品には、日記や現金約20万円、着替えのほか、携帯用ゲーム機に複数のゲームソフト、ゲームの攻略本、ポケモンカードなどがあった。逃走中には、ゲームをして時間を潰していた。

さらに、紺のリュックサックの中には、日記代わりのB5判の家計簿を所持しており、逮捕直前まで毎日、日付と1行程度のメモを書き込んでいた。

ホテルなどは使わず、主に橋や高速道路の高架の下など人目につかないところで夜を明かし、6日朝には、トラック運転手の男性(当時24歳)に、山形県遊佐町の国道7号沿いにある橋の袂(たもと)で、横になって雑誌を読んでいるところを目撃されている。また、食料は主にコンビニエンスストアやファーストフード店で調達し、途中立ち寄った食堂で見たニュースで母親の死を知ったという。

少年Aと野球部のその後

逮捕後、少年は「殺すつもりでやった」と野球部員に対する殺意があったことを認めたが、「殺すつもりだったのは野球部員の4人のうちの一人だった。残る3人については、逃げるのに邪魔になりバットを振りまわした」と供述。

また、母親の殺害については「母に殺人者の自分を見せて心配をかけたくなかったから」と答え、また、「(被害を受けた人たちに)申し訳ないことをした」と、反省する態度を見せたという。

2000年9月15日、Aの特別少年院送致の保護処分が確定した。

Aの父親(当時46歳)は事情聴取で「(息子は)母親の期待をプレッシャーに感じていた。仲がよかったとは言えない」と話した。

事件の舞台となった同校野球部は、夏の県大会出場を前に活動休止を余儀なくされた。

9月末に再開したが、3年生の引退もあり、20人を超えていた部員は9人を割ったという。

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