事件・事故

西口彰連続強盗殺人事件

日本全国を逃走し続けた凶悪強盗犯、史上初の全国一斉捜査が実施

1963年10月、福岡県内で、専売公社職員・村田幾男さん(当時58歳)とトラック運転手・森五郎さん(当時38歳)の刺殺体が相次いで発見された。

トラックからは売り上げの現金27万円が紛失しており、警察は目撃証言や指紋などから、窃盗などの前科があった西口彰(当時36歳)を指名手配し、史上初の全国一斉捜査を実施した。

西口はその後も詐欺と殺人を繰り返しながら逃走を続けたが、翌年1964年1月に、熊本の女子小学生が、弁護士を自称する男を指名手配写真のポスターの人物だと見抜いたことで逮捕された。

「広域重要事件特別捜査要綱」の策定

昭和30年代より自動車が急速に普及し、また、道路の整備が進められたことで、凶悪犯罪が警察署諸管轄を超え、広範囲にまたがって発生することが多くなった。

このような犯罪は、犯人の逃走スピードが早く、捜査が追いつかなかったり、各都道府県警同士の連携が十分に取れなかったりしたことから、捜査が遅れ、事件解決が困難になるケースが増加していた。

ちなみに、1957年には、他都道府県警との連携を図るために、捜査依頼や指名手配についての連携体制の基本を定めた「犯罪捜査共助規則」が制定されていたが、これを統一的に指揮する官庁がなかったため、機能不全の状態に陥っていた。

その後、本事件を契機として、1964年に警察庁が「広域重要事件特別捜査要綱」を策定。これは国が予算を出し、警察庁が「広域重要指定事件」として指揮・統括を行うもので、各都道府県警が実効的に捜査を行う体制が整えられた。

有名な「広域重要指定事件」としては、本事件の他に「永山則夫連続射殺事件」「グリコ・森永事件」「宮崎勤幼女連続殺人事件」などがある。

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事件の経緯と動機

消えた27万円と西口彰の行方

1963年10月18日朝、福岡県京都郡苅田町堤の国鉄日豊線苅田駅西側の山道で、専売公社(日本たばこ産業・JTの前身)福岡出張所に勤務する村田幾男さん(当時58歳)がキリのようなもので刺されて血まみれで死んでいるのが発見された。また、近くには凶器と見られる千枚通しが落ちていた。

さらに時を同じくして、約2km離れた同県田川郡香春町仲哀峠の国道近くで、専売公社福岡出張所がチャーターした行橋通運の小型トラックが放置されており、車から350mほど離れた場所で、運転手・森五郎さん(当時38歳)が、手拭で首を絞められて殺されているのが発見された。

村田さんと森さんは、前日朝から集金に回っていたが、苅田町内のAさん宅に集金に訪れ、ここで夕食をすませた午後5時半頃以降、行方がわからなくなっていた。

車内からは、集金したはずの43万のうち27万円が紛失していた。

その後の捜査で、村田さんと森さんの2人がAさん宅に訪れた際、2人が時々連れてきたことがあったという男が、トラックに乗っていたという証言が得られた。

証言と指紋採取の結果から、警察はこの男を西口であると断定。10月21日、行橋市内に住む前科4犯の元運転手・西口彰(当時36歳)が全国に指名手配された。

その後、西口の家からは血のついた衣類が発見され、また、愛人の理容師(当時40歳)宅も突きとめられたが、肝心の西口の行方はわからないままであった。

西口彰の「知力」と「暴力」

西口は1925年、大阪で生まれた。西口家は代々カトリック信徒であり、西口も5歳で洗礼を受けている。

戦前、大分県別府市に移り、旧制中学に入学したが、中学2年の時に家出をして、詐欺と窃盗で岩国の少年院に入っている。翌年、出所した後は大阪に戻ったが、恐喝や詐欺で刑務所への入退所を繰り返した。

入退所を繰り返す中であったが、西口は出所中に1歳下の女性と結婚して、3人の子をもうけた。

別府刑務所を出所後は運転免許をとり、妻子を大分県別府市の両親に預け、1人出てきた行橋市で運転手をしていた。この仕事は、1963年10月5日まで続けていたものの、それ以降は欠勤していた。

妻子が傍にいない間、前述の理容師の他にも、飲食店店員などを愛人にし、また、事件直前には理容師の長女や店の見習などにも手を出そうとしていた。

西口は「自分は大卒。両親は別府市の資産家。パチンコ店と旅館を経営している」と言って騙し、女性を口説き落としていたという。

そして事件当日の10月18日、福岡県で専売公社の運転手2人を殺害、たばこ代金27万円を奪った。

この計画は前日に練ったもので、知り合いの村田さんのトラックを待ちうけて乗り、たばこ配達に付き合う形で実行に移された。

そしてその翌日、福岡市新柳町(現・中央区清川」)の旅館「一力荘」を売春婦と思われる女性とともに訪れ、さらにその翌朝の朝刊の事件記事に自分の名前と顔写真が出ているのを見つけたことで、西口の逃亡生活は始まった。

ちなみに、それまでの西口は詐欺や窃盗を繰り返す「知能型」の前科者ではあったものの、傷害・殺人などの「暴力型」の犯罪者ではなかった。

そもそも、知能型と暴力型、知力と暴力が混在する犯罪例は、自身で弁護を行ったシリアルキラー「テッド・バンディ」のような「知能が高い暴力型犯罪者」を除けば、ほとんど存在しないと言ってもよいほど、希少なケースである。

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自殺を装い逃亡、詐欺、そして、殺人

10月21日、ギャンブル好きの西口は佐賀県唐津の競艇レースで21万円もの大金を得た。同じ日には佐賀市のカトリック教会のミサにも参加。そして夜には、小倉の平和台球場でナイターを観ていたが、その日の夕刊で自分が指名手配されていることを知った。

それを知った西口は、行橋市の妻と行橋署に、それぞれ1通の手紙を送っている。

警察署や世間を騒がせて申しわけないと思っている。
捕まって笑われるようなことはしない。
―――東京にて記す。

行橋署宛の手紙

捕まって世間に笑われるようなことはぜったいしない。
死ぬつもりだ。

妻宛の手紙

その後、10月24日には、岡山県宇野と香川県高松を結ぶ国鉄宇高連絡船「瀬戸丸」の甲板に、背広の上着と黒い革靴が置かれているのを乗客が発見。上着のポケットに西口の書いたハガキがあり、海へ飛びこんで自殺したのではないかと見られた。しかし、付近を捜索しても遺体は発見されなかった。

上着のポケットに入れられていた手紙は、以下の内容であった。

先だって平和台の野球を見に行って泊まった者です。
旅館を出るとき私の旅行カバン、日用品、靴を預けたものです。
これについては後で連絡する  アキラ
荷造りして送ってください。

19日に宿泊していた福岡市新柳町「一力荘」宛のハガキ

先立つ不幸許して下さい。
今度は本当に御迷惑をかけました。胸が一杯で何も書けません。
御幸に御元気で何時迄も御幸にね。馬鹿な彰を許して下さい。
この道を選ぶより外はなかったのです。

自身の長男に宛てたハガキ

しかし、実はこの時、西口は自殺などしていなかった。

捜査本部も「(西口の自殺について)偽装である」と断定しており、これは警察が玉野市、高松市近隣の古物商、質屋などをあたったところ、玉野市の船乗り場近くの質店で、西口らしい男に古い靴を売ったという証言が得られたことと、24日夜遅くに玉野市の旅館に宿泊していたらしいことがわかったためである。

一方、西口は岡山から神戸、大阪、京都、名古屋と全国を逃げ続けていた。逃亡を続ける中、西口は「京都大学教授の高橋」と名乗った。

10月、静岡県浜松市の旅館に宿泊した。やはり大学教授を名乗ったが、もちろん巧妙に「静岡大学から電話がかかってくるかもしれない」と言っておいて、外から自分で電話をかけ「京大の高橋先生はいらっしゃいますか。こちらは静岡大学の者ですが」などと言って宿の人を信用させるための工作を怠らなかった。

この旅館に二泊した後、西口は、市内の貸し席「ふじみ」に宿替えした。ここで、意気投合した女将・藤田ゆきさん(41歳)にも静岡大教授と名乗り、関係を結んだ。

そしてその後、なぜか広島へ移動。この時の所持金は800円ほどしかなかったため、カトリック教会の神父に、やはり京大教授と名乗って「施設にテレビを寄付したいので電気器具商を紹介してくれと言って紹介状をもらい、テレビ5台を詐取してうち4台を質に入れて8万円を受け取った。

11月19日、静岡県浜松市の旅館「ふじみ」に戻った西口は、藤田さんと、外出先から帰ってきた母・はる江さん(61歳)を絞殺、貴金属や衣類を奪った。それらも入質して、計15万円を手にしている。警察はこの犯行も西口によるものと断定し、公開捜査を行った。

12月には、場所を千葉市に移し、千葉地裁内で、罰金を納めに来た女性(当時60歳)に弁護士と名乗って声をかけ現金を詐取。

千葉県弁護士会館で弁護士名簿を詐取しており、ここから西口は大学教授から弁護士と名乗るようになった。

そして大胆にも、千葉刑務所の待合室に入りこみ、女性(当時50歳)から息子の保釈金を詐取した。

12月5日には福岡に移動し、福島県常磐市(現・いわき市)の弁護士事務所で弁護士バッジを窃盗。

12月7日には北海道に移動、北海道沙流郡門別町の洋品店に弁護士を装って訪れ弁護料を詐取。その後さらに東京へ移動し、都内で弁護料として現金を詐取した。

その後、今度は栃木へ移動し、栃木県の旅館で宿賃を踏み倒したうえ、市内の弁護士宅を訪れ、「汽車賃を貸して欲しい」と言って現金を詐取した。

12月20日、東京地裁内で保釈手続きに来た女性(当時48歳)から保釈金を騙し取った。

12月29日、豊島区雑司ヶ谷のアパートで検事出身の弁護士・神吉梅松さん(81歳)を絞殺、腕時計と弁護士バッジを強盗。神吉さんとは東京地裁の待合室で知り合い、民事訴訟を依頼、1人暮らしであることを知り、打ち合わせと言って同行していた。

殺害後、西口は神吉さん宅に再び訪れ、来訪した男性(当時57歳)から保釈金名目の現金を詐取、東京地裁へ行って、またも保釈金を詐取した。

西口は年末になって都内を離れ、豊橋、名古屋に立ち寄った後、九州を目指した。

少女が指名手配の男だと気付き、西口逮捕へ

1964年1月3日、「福岡事件」の支援活動をしていた古川泰龍氏(当時43歳)が身を寄せていた、立願寺(熊本県玉名市)に「東京都文京区の川村角治弁護士」と名乗る男がやってきて、運動への協力を申し出た。この男は西口であり、本物のバッジをつけていた。実は西口は、以前詐欺罪で福岡刑務所に服役してときに、古川氏の顔を覚えていたのだった。

協力の申し出に古川氏は感激し、2人で話しこんだ。その時、西口は死刑論などについて熱く語って床についたという。

しかし、古川氏の次女で小学5年のるり子さん(当時11歳)は、この男が連続殺人犯・西口彰であることを見抜き、「お父さん、あのお客さんはポスターにあった殺人犯の西口にそっくりよ」と父親に知らせた。

るり子さんには西口と一字違いの同級生がいたので、登校のたびに興味深くポストに貼ってあった手配書を見ていたのだという。

古川氏は当初「お客さんに失礼なことを言うな」と娘を叱ったが、身長、ホクロといった特徴が殺人犯と見事に一致していた。それに東大卒の弁護士と名乗ったが、有名教授の名を知らなかったり、「自由法曹団」を「自由法曹院」と間違っていたことを古川氏は思い出した。

「感づかれれば殺されるかもしれない」と恐怖した古川氏は、家族で話し合ったうえで、子ども部屋に鍵を付け、また、西口が寝静まったのを確認したうえで玉名署に届けた。

そして翌朝、駆けつけた警官に対しても、西口は「弁護士の川村角治だ。何の用かね」と堂々と話していたが、逮捕された。

犯行の動機は「借金返済と、愛人の理容師の歓心を買う為」だった。

しかし「金を得るためなら殺しも厭わない詐欺師」である西口が、5人もの人を殺してまで手にした金は、わずか80万円ほどであった。

西口は大学教授や弁護士を名乗る時は、インテリに見せるため、必ず眼鏡をかけた。

その後の取り調べで西口は「疑われたことは1度もなかった」と豪語した。また、汽車のなかでも旅館でも、教育心理の本を開いてたという。難解で面白くもないような本だったが、読んでいるうちに内容がわかって、案外面白かったと話した。

裁判とその後

1964年11月、検察は西口に死刑を求刑。

1965年1月2日、福岡地裁小倉支部は「神も許さず、人もまた許すことの出来ない凶悪犯罪人である」として死刑判決を下した。

同年8月28日、福岡高裁は控訴を棄却。

この頃、西口の長男は、父親が殺人犯だと知り、グレて学校にも行かなくなっていた。そのことを聞かされた西口は、「俺のような人間の真似をするな!」と悲痛な声を上げ、長男に20数枚の手紙を書き、立ち直ったことを知って安心していたという。

そして、1966年8月15日、西口が上告を取り下げたため、死刑が確定。

1970年12月11日、死刑執行。享年44歳であった。

公判で検察側から「史上最高の黒い金メダルチャンピオン」「悪魔の申し子」と形容された西口も、執行の前は点字翻訳のボランティアに励んでいたという。

文通をしていた明治学院大学の女子大生からの依頼で、卒論用の哲学書を点字訳にしており、この作業は1日ぶっ通しの作業で6ヶ月かかったが、完成した時には「人のために、本気になって仕事したのはこれが初めてだった」と手記に記した。

また、獄中での西口は「罪は海よりも深し」という大学ノート8冊分の手記を記しており、その手記の最後にはこう記されていた。

私が刑場に引かれる姿を想像して笑ってください
当然の制裁でありましょう
長いことお騒がせいたし恐縮です
失礼いたしました

西口の獄中手記、最後の1ページより

ちなみに、佐木隆三氏は、この事件を題材に「復讐するは我にあり」という小説を書き、第74回直木賞を受賞している。今村昌平監督、緒方拳主演で映画化もされており、映画は弁護士殺害現場である池袋雑司ヶ谷のアパートをそのまま撮影に使うなど、事件と原作を忠実に再現したものとなっている。

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