事件・事故

愛知・豊川市主婦殺人事件

「人を殺す経験がしたかった」17歳高校生が、見ず知らずの主婦を刺殺

2000年5月1日夕方、愛知県豊川市の主婦・筒井喜代さん(65歳)が自宅で何者かに刺殺され、夫の弘さん(当時67歳)も負傷した。

翌2日夜、出頭してきたのは現場近くに住む、私立豊川高校3年生の少年A(当時17歳)だった。

殺害の動機について「人を殺す経験がしたかった(人を殺す体験をしてみたかった)」と話し、社会に衝撃を与えた。

なお、殺害動機について類似した供述(「人が死ぬところを見たかった」)をした事件として、「名古屋大学女子学生殺人事件」が、同愛知県内で発生している。

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また関連して、「佐世保女子高生殺害事件」の犯人についても、同様に「人を殺してみたかった。遺体をバラバラにしてみたかった」と供述している。

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事件の経緯

2000年5月1日、Aが狙いをつけた家は自身の通う私立高校から100mほど離れた筒井弘さん宅だった。

Aと筒井さん夫婦は何の面識もなかったが、玄関がたまたま開いていたこと、また、表札から老人宅であると判断し、筒井さん宅を襲うことを決めた。

なお、老人宅を狙って犯行を行ったことについて、Aは逮捕後「若い未来のある人は(殺しては)いけないと思った」と供述している。

突発的な犯行ではなく、Aはあらかじめ、現場近くの竹やぶに、着替えと凶器、25000円の逃走資金を用意していた。また事件当日、Aは通常通り学校に登校していた。

同日の夕方、Aが筒井さん宅に侵入。室内を物色していたところを、筒井弘さんの妻・喜代さん(65歳)に見つかり、喜代さんを金づちで殴り、顔を中心に首など約40ヶ所を包丁でメッタ刺しにして殺害した。

この途中で、弘さんが帰宅し、2人はもみ合いになった。このとき弘さんは「金ならやる。助けてくれ」と言ったが、Aは弘さんの首などを切りつけて軽傷を負わせ、逃走した。

前もって竹藪に隠してあった服に着替えて逃走を続けたが、このとき、竹やぶにカバンを置き忘れていた。

ちなみに、このときAが竹やぶで着替えている様子を目撃していた人が複数いたことが、その後の捜査で明らかになっている。

着替えを済ませたAは最寄り駅まで移動し、名古屋市や犬山市に電車で逃走、公衆トイレで一夜を過ごしていた。

通報によって駆けつけた捜査員が、近くの竹やぶから血のついた制服とカッターシャツ、鞄を発見。襲撃の5時間前の午後1時頃に、竹やぶの所有者がシャツの入った紙袋や、刃渡り20cmの草刈鎌があるのを見つけていたことに加え、Aが現場近くにある高校の制服であるブレザーを着用していたことが分かり、逮捕状をとってAの捜索を行った。

翌2日、午後5時頃、Aは名古屋駅前の交番に1人で出頭した。このとき、Aはとても落ち着いた様子で、出頭した理由について「寒くなって疲れた」と答えたという。

Aは、筒井さん夫婦殺傷後、竹やぶで着替えて自転車で駅に向かい、前述の通り公衆トイレで一夜を明かした後、2日の昼間は岐阜―名古屋間を電車で行ったり来たりしていたという。

明らかになった動機とその後

Aは、犯行の動機について、「人を殺す経験がしたかった(人を殺す体験をしてみたかった)」と供述した。

Aは高校のソフトテニス部に所属しており、後輩からの信頼も厚く、しかも同校の「特進コース」に通う成績優秀な生徒であったため、その評判と犯罪行為との乖離が疑問視されたため、精神鑑定が行われることになった。

精神鑑定の結果、1回目の鑑定では「分裂病質人格障害か分裂気質者」とされたが、2回目の鑑定では「犯行時はアスペルガー症候群が原因の心神耗弱状態であった」とされた。

2000年12月26日、名古屋家庭裁判所は2回目の鑑定について認定し、医療少年院送付の保護処分が決定した。

なお、2回目の鑑定医師団には、児童精神医学の専門医が鑑定団の一人として加わっていた。

この事件は、文部省(科学技術庁と統合され、2001年より文部科学省)に対し、広い範囲における高機能自閉症児に対する早期の教育支援が必要であることを認識させ、特別支援教育の制度化のきっかけとなった。

そして、2001年春から、旧来の「特殊教育」という言い方に代えて、「特別支援教育」という呼称が使用されることとなった。

また、関連して、この事件の2日後の2000年5月3日に発生した「西鉄バスジャック事件(ネオ麦茶事件)」の犯人が、犯行直前に本事件に関する手記を残していたことや、同年に同年代の少年による凶悪犯罪が連続して発生したため、「キレる17歳」というワードが多く報道された。

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実際に、「17歳」というワードが、2000年の流行語大賞候補にノミネートされ、トップ10入りしている。

また、少年事件の多発を受け、2000年11月28日には、少年犯罪の厳罰化を意図した少年法改正案が成立、翌2001年4月1日より施行されることとなった。

少年Aの生い立ち

Aは、両親ともに教師の家庭に生まれた。

しかし、両親はAが1歳半のときに離婚しており、以来Aは祖母を「お母さん」と呼んで育った。

母親とはその後、一度も会っておらず、祖父が「母親に会いたいか」と尋ねても、Aは「会いたくない」と答えたという。

母親は、Aが小学校に入学する頃、Aにランドセルと百科事典を贈っている。しかし、父親と祖父はランドセルを他の子供にあげてしまい、百科事典は母親からの物だとは言わないままAに渡していたため、幼いAにとって母親は「突然出ていって、なんの連絡もよこさない人」という風に思われていた。

前述の通り、Aは高校では「特進コース」に在籍する真面目な生徒とみられており、所属する部活動でも、後輩から慕われる存在だったという。ちなみに、高校2年の頃、Aは祖父に「社会勉強のためにアルバイトしたい」と申し出るが、祖父は「欲しい物があれば買ってやる。そんな暇があるなら勉強しろ」とこれを認めなかった。

事件後の供述で、Aは「人を殺す経験をしようと思った。殺人や、それを行なう自分の心理がどういうものか経験して知ることが必要だと思い、計画した。定めた目標を達成することで成長できると考え、1度はためらったが、やり通した」、「殺そうという気持ちを抑えきれませんでしたが、やるべきではありませんでした。人を殺して捕まればどうなるかは理解していて迷いましたが、結局『やらなくてはいけない』という気持ちが上回りました」、「亡くなった方やけがをさせた方、自分の家族全員や学校の先生、友達に非常に申し訳ないことをした。自分から直接謝りたい」と述べている。

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